1Q84-Book1,Book2
なんか一言でいって気持ち悪かった・・・ いいところもあるんだけど、なんか私の好みじゃないっていうか。「エヴァンゲリオン」とか「風の谷のナウシカ」のマンガの原作の終りのほうとか、映画「マトリックス」の完結編とかを思い起こさせる。ていうか見てるし(笑) でも字の体験にはもっと違うものを求めてしまうんですよねー。
2日間、文字を読み続けたことによるいくぶんの脳のストレッチ効果あり。
なんか一言でいって気持ち悪かった・・・ いいところもあるんだけど、なんか私の好みじゃないっていうか。「エヴァンゲリオン」とか「風の谷のナウシカ」のマンガの原作の終りのほうとか、映画「マトリックス」の完結編とかを思い起こさせる。ていうか見てるし(笑) でも字の体験にはもっと違うものを求めてしまうんですよねー。
2日間、文字を読み続けたことによるいくぶんの脳のストレッチ効果あり。
特に予定もなく友達と会った程度。
なーんか部屋が片づかないんだよなあと思いながら、リサイクル本屋(古書店にあらず)に送る本をダンボール箱2箱により分けたらだいぶすっきり。春になる余地ができた。
これから読む本を一カ所にまとめてほくそえむ。いい本がたくさんでてきました(苦笑) 幸田文のちくま文庫「みそっかす」2冊でてきた。
私は本などはけっこう入れ替えるほうなんだけど、残しておきたい本というのは変わらないものですね。読むのに難儀した本は手放し難いです。マリインスキー劇場の本とか。。
フロスト警部シリーズ4作目。現代の海外ミステリーではポール・アルテとウィングフィールドだけは読む。あとがきで知ったんだけど、ウィングフィールドって去年亡くなっていたんですね。あと未訳のものは2冊しかないということで早く読みたいような読みたくないような複雑な気持ちである。
で、「フロスト気質」なんだけど、フロストの本は、もうこれは、ミステリーというよりむしろ「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」とかヘンリー・ダーガーの「Vivian Girls!」とかを彷彿とさせるのであって、アートシーンには使いたくないアウトサイダー・ミステリーなんて言葉を使ってしまいたくなるのです。
だって殺人事件やら誘拐事件(それも2種類)やら幼児いたずら事件やら昔のひき逃げ事件の蒸し返しやらが一度に発生して、それらの混沌が上下巻2冊にわたりみっちり繰り広げられたうえに、ぜんぜんまったくちっとも関連性がないんですよ(笑) フロストはしょっちゅう推理がはずれてるし、いきあたりばったりだし、もうなにがなんだかわかんないの。事件が起こり謎解きがあり犯人が明らかにされるという、美しいミステリーの型からぜんぜんはみだしちゃってる。にもかかわらず犯罪者は下劣で下衆ではあるのだがその下衆さ加減がなにか人間らしい。好きになれるというわけではないが私がさらに大嫌いな超人的なサイコキラーとかじゃなくて、そのへんはほとんど古典的。
そのデントン署曼荼羅の中心部にいるのがフロストという下品な警部キャラなのだ。混沌として猥雑で下衆でお下品。でも仕事ってこういうものなのかも。長いので週末の二日間、たっぷりお下劣節を楽しめます。けなげなデントン署員たちが氷雨のなか猛烈な悪臭と闘いながら運河の底浚いをしている姿を、クーラーの利いた部屋で堪能できるなんて、なんて幸せなんでしょう!
TimesOnline
R. D. Wingfield, author and dramatist, was born on June 6, 1928. He died of cancer on July 31, 2007, aged 79
著者のiioさんがナントに行っているすきにアップ。これが「ジャズの王様 ベスト100曲」っていう本ならあたしは絶対買わないのだ。なぜクラシックだと買ってしまうのでしょうか。それはもちろんiioさんの文体が面白いからなのですが、それと同じくらいに私はクラシックだとなぜか無精になってしまうのです。他のことなら、音楽であれ、バレエや歌舞伎であれ、本やお料理やファッション、コスメであれ、自分の縁を信じて自分にふさわしい出会いを求めてそのへんをさまようこと自体を楽しんでしまうのですが、なぜーかクラシックだと、誰かがいいよって選んでくれてるのを聴いてるほうが心地いいのです。同じ理由でエスクアイアのピアノ特集も買いました。付録CDにつられて(笑)
そんで「クラシックの王様 ベスト100曲」なんですけど、やっぱりiio節炸裂のとこが面白いです。須栗屋敏先生の、言い方は明るいんだけど微妙にネガティブな占いとか、各ジャンルの終りについてる「1分でわかる」シリーズのオチへのドライブ感とか、あとオペラの解説のとこが傑作なんですよねー。オペラって話に首をかしげてちゃいけないのねん。
iioさんの本家ラフォルジュルネのナント・レポートももうおっかしくて、えーとおかしがっても気を悪くなさらないですよね? なんていうかアーティストとPS2で対戦しようと夢想したとか、USBメモリーでCD売ってるとか、なんかiioさん視点じゃないですかっ。つまり私はiioさん文体がすごいつぼにはまっちゃってるのですネ。もっと自分をだしたエッセイとか書けばいいのに~。
とまあ、こんなことを書いたらシャイな著者さんが激しく恥ずかしがるだろうと思ってわざと書いてみました。心が美しいというより3万パーセント邪悪です。
「クラシックの王様」ベスト100曲
著者:飯尾洋一
「剣客商売」にはまりこんで、全16巻と番外編2遍を読了。ああ面白かった。人間、黒と白をあわせもっている辻褄のあわない生き物だけれど、それも含めて、「かっこいい」っていうのはどういうことか教えてくれる本。ああかっこいい。顔がいいことも悪いことも、お金があることもないことも、権力をもつことももたないことも、浪人も仇打ちもウナギ売りもかっこいい。こういうものが老若男女の読者に何百万部も読まれているのなら、そんなに日本の将来、悲観することもないんじゃない?
しかしふと我にかえる。思い起こしてみるに、私は池波ファンを公言する人で好きな人間に会ったことがない。小兵衛のように強くもなければ、人望も人脈も、気前よく周囲に「こころづけ」を渡す気前も器量もないくせに、小兵衛に接するように自分に接することをなぜ他人に期待するのか。いったいこの人はなにをきどっているのか? と疑問に思うこと多々あったのだが、あー池波正太郎だったざんすね。読んだことないからわからなかったざますよ。いいけど。
6月に買ったきり放置していた「ウィキノミクス」をパラパラ見る。要約したり感想を書いたりする見識はないので、帯の紹介文と、自分として「ふーん」と思ったところを抜き書き。
ウィキノミクスの行動原理は4つ---オープン性、ピアリング、共有、グローバルな行動。
オープンソース企業は、ソフトウェアやそれを提供するビジネスモデルに対する考え方からして違っている。結果的にコラボレーションとなるのではなく、最初からコラボレーションを前提にソフトウェアを設計するのだ。ポレーゼは次のように語る。「オープンソースの世界では、ばらばらのコンポーネントが集まって大きなエコシステムとなります。コンポーネントやプロジェクトを構築するとき、まず、そのほかの部分とどのような形で相互運用できるようにするのか、から考えます。つまり、ソフトウェアの書き方やソフトウェアの世界で事業を行うやり方に対するアプローチ自体が大きく異なっているのです」
お金が稼げるかどうかは……すべて、価値の追加にかかっているという。「保守やサポートをしっかりと提供すれば、顧客を満足させることができます。ほかのソフトウェアとの相互運用性も提供できます。そして、常に追加されていく。時間がたてばたつほど、製品がよくなっていくのです」P145~146
そうですか。
それはさておき。
ネット系のビジネス書を読むと、自分の頭の中で、文化論の話に強引に変換したくなる誘惑にかられます。たとえば、「そんなこというけど、世界にはインターネットにアクセスできる環境を持ってない人だって、たくさんいるんだよ?」みたいな。ウェブのことを語る語り口って、すべてはウェブの中で起こってる、みたいな書き方してて気持ち悪いと思っちゃうんですよね。でもそれって、それだけインターネットが自分の生活にはいりこんでいるので、技術やビジネスの話として客観的に考えられなくなっているということなのかも。使い分けないとね。意識的に。と思いました。
最近、池波正太郎にこっています。渡辺哲夫センセイが言ってたよ、「死者の支えを失ったとき、人は狂気に陥る」って。この場合の死者って江戸時代の人々のことですけど。でもインターネットに過去ってないのよね。
今、4冊目にとりかかりちゅう。主人公、真島誠のキャラが面白すぎ。マコちゃんはストリートギャングというよりストリート探偵というより、
「いまどきの高等遊民(死語)」
っていう感じ。妙に読書家で音楽好きで、ちんぴらのくせに(失礼)ファッション誌のコラムなんか書いてて、ユニクロのジーンズばっかりはいてるくせにファッションでも北欧のデザイナー家具でも世界情勢でもなんでも知っている。こういう人いますよ、いやマコちゃんみたいな人はいないけど、状況的にこういう感じの人。親が地元で商売やってて、すごく資産があるわけじゃないけどとりあえず家賃の心配はしなくてよくって、ものしりで趣味に走ってて、友達の多い人。
っていうマコちゃんのもともとの資質にプラスして、いまどきの「高等遊民」って大学になんかいないんじゃないかなって感じもうけた。大学はね、学閥をつくって有利に就職するためのところ。いまどきの高等遊民はニートとかフリーターとかひきこもりとかの人の中にいるだろなって思った。
写真は読み終わったばかりの3冊目。このへんで、妙な話だけど村上龍の長寿エッセイ「すべての男は消耗品である」を思い出した。あれも、そのときどきの時事的な事柄や風俗をフックに、筆者が自分の考えや関連するいろんなカルチャーを伝えてくれるものだけれど、「消耗品」が暑苦しいのと(スミマセン・・・ でも事実だし)比較してマコちゃんは都会の人なのでとっても軽やかなのだ。
だってマコちゃんはすごいへん!(笑) ラーメン屋の行列にならびながら突然プルーストがでてきたり、西瓜を売りながら臆面もなくクラシック好きだし(ぼくってオタクっぽいかな・・・ なんて悩んだりしない・笑)、それがまたへんな場面でへんな、いやへんというかピンポイントで思いもかけないつぼをつかれる、みたいな曲を聴いてたりするわけですよ。そうかと思えば、生まれてくる赤ちゃんを守るために大人たちがものすごく苦しい思いをこらえる、っていうような切ない場面でワルツ・フォー・ベビー、もといワルツ・フォー・デビーを聴くはめになってたり。ダジャレかい! 衣良サマってとっても人が悪いのね。いやん。
というわけでとっても楽しく読んでいます。ひとつひとつのお話が短いので、こんなこと言うと怒られるかな、更新を楽しみにしてるブログを読むような感覚です。10年前の1作目で「まんがっぽい?」って思ってそれきり読んでなかったそこの中年のアナタ! これはくせになりますよ~。まだあと4冊もある。うれしい(LOVE)
11月17日
◆グランプリシリーズ フランス大会 ショートプログラム
真央ちゃんがここのところショートプログラムで失敗していたコンビネーションジャンプがまた跳べずに泣いてしまう。それでもトップだったんですよ!? ほんとにこの人、大物なんだなあ。明日のフリープログラム「幻想即興曲」はぜったい見逃せない。しかし2位のキミー・マイズナーの立場は?
フィギュアスケート・グランプリシリーズ・世界一決定戦2007 第4戦フランス大会
◆北京五輪予選ベトナム戦
前半で3点もとってすごいすごいと喜んでたら後半で大苦戦。楽ができる試合ってないのですね。
11月16日
◆オシム監督、急性脳梗塞で倒れる。えええ2、3日前に埼スタで元気そうだったじゃない!?
11月14日
◆浦和レッズ、ACL優勝。おめでとう! 試合が終わったあと、選手たちが「歓喜が爆発」っていうよりなんかほっとしたというかしんみりしてたような感じで印象的だった。最後の記念撮影のとき、後ろから紙吹雪がふきあげられるじゃないですか。あれ赤かったらよかったのにと思ったの。
◆佐々木俊尚「ネット未来地図-ポスト・グーグル時代20の論点」文春新書
◆NEWSWEEK日本版 11/21号「グーグル危機?」非英語圏のサーチエンジンを紹介。特集タイトルはちと言いすぎ。気持はわかるけど。
◆週刊SPA! 11/20号 「ポイント収集&キャッシュバック ネットで[小遣い倍増]作戦!」
果敢にポイント稼ぎにトライする記者魂に感銘を受ける。自給何十円とか(笑) ポイントサイトの広告効果ってどうなんだろと考え中。
ミステリーランキングにはいりそうな本。
◆アン・クリーブス「大鴉の啼く冬 」創元社
◆ギリアン・フリン「KIZU―傷―」 ハヤカワ・ミステリ文庫
どっちも女性の作家で、閉鎖的な社会でなにが起こるのかっていう話。前者はシェットランド島が舞台で抒情的、後者はミズーリ州の架空の町ウインド・ギャップが舞台で心理的によりハード。両方とも読み応えがありました。しかしこの邦題、なんとかならんのか。気持はわかるけど。
◆新堂冬樹「溝鼠」
仕事からみで。いわゆる変質者の変態的世界。なんども吐きそうになり、とばしながらなんとか読了。残虐で好きになれないと思っていた翻訳のノワール小説やサイコサスペンスがいかに洗練されているのか知る。しかしながら妙にブンガクぶってないところに好感。よく書いたなー。気持はわかります。
神田の古書祭り。今年は 10月26日(金)~11月1日(木) だそうです。
忘れもしませんよ、その前日? かな、ヤスケンがウェブサイト上で余命一ヶ月とかいいだして、いつもの朝カルが休講になっちゃったから行くところなくて朝カル軍団と神田をふらふらしたあげく、結局、いつもヤさんとだべっていたファミレスに集結したとかいうことがあったのでした。それから怒涛のようなファイナルカウントダウン祭りが始まったのであった・・・
この人すごいですよ! 今さらなんですけど、映画になってたので読んでみた。これを言う人があらわれるべきだったんだってほんとにそう思った。作家は炭鉱のカナリヤだ。一般ピープルが気付かない重大なことにいち早く声をあげる。すごいなー。ちょっと前の本&映画公開から日もたってるので以下ネタバレ。
田舎町の壊れていく家族の話。話の軸になっているのは女優志願の長女。少しきれいなだけで特別な才能もないのに、異常な自己愛で自分は特別だと思い込んでいる。妹はおののきながら魅入られたみたいに姉の異常さを観察し、どこかにはきださずにはいられなくなってマンガを描いてホラー雑誌に投稿したところ、編集者に注目されてしまう。現実に直面できない姉の精神を支えるのは血のつながらない兄とのゆがんだ関係。兄の嫁はエジプトに雨をふらせるほどの天然な菩薩っぷり。どうしようもない絶望的な状況がものすごくつきはなされた筆致で描かれる。
ブログなんか書いてる人で、この長女に、そしてそれをネタにしてしまう次女に、少なからず自分を重ねる程度の自意識のない人と私は友達になれないと思う。
高橋源一郎氏のあとがきに深く共感するものがありました。氏はこの小説を「実存主義的」であるといい、、第二次大戦後の「実存主義的」小説とよく似ていると評した上でこういうのです。
では、なぜ、二十一世紀になって、前の大戦から半世紀以上も過ぎて、そんな作品が出現したのか?我々の知らないところで、実は、戦争が起こっていたのではないだろうか。そして、それは、前の世界大戦に比すべき大きな戦争だったのではないだろうか。
国家と国家が戦う戦争は、誰にでも理解できる。だが、そうではない戦争もまた存在するのではないだろうか。
「戦後」六十余年、見えない機銃掃射で、人々は倒れなかったろうか。夥しい無辜の死者が、日々生まれつづけているのに、それでも、誰も、それが「戦争」の被害者であるとは気づかないのではないだろうか。
氏の批評に共感したの初めてダワ。冨岡多恵子に似てるとか思いました。ほかのも読んでみよっと。あと12月には劇の公演もあるらしい。演劇って(歌舞伎以外)ほとんど見たことないのです。こちらもぜひ見に行ってみたい。映画もまだやってるみたい。
生意気に忙しがっておりました。暑いのに外に出る機会も多かったのに、よくがんばってる自分に感心してしまいました。ああゆっくり休みたい。しかしヒマならヒマで文句を言ってそうである。この土日はやっとちょっとだけ一段落したのでゆっくりできました。ミステリーを買い込んでいっき読みしたです。ああミステリーっていいな~。これが娯楽ですよ! エンターテインメントですよ!
読んだのはサラ・ウォーターズの「夜愁」。土曜の夜に読み始めて日曜の午前中には上下巻とも読了。至福・・・。「半身」は構成がちょっとしんどかったんだけど、「茨の城」はストーリーが古風でおおらかな冒険譚みたいですごく楽しめた。この「夜愁」はミステリーの要素はちょっと薄くて、戦時下・後の人々の群像劇みたいになってる。パトリシア・ハイスミス、ルース・レンデルとかの女性作家のパラノイア的な心理描写に共通するものがあるんだけど、ハイスミスやレンデルより作者の登場人物を見る目が温かい感じ。戦争中でも、いやそれだからこそなのか? 人々は好きだの嫌いだの嫉妬だの心変わりだの自分の殻から脱けでれないだの罪悪感だの、いろんなものをしょってそれでも生き延びようとするわけですよ。描写が細部にまで行き届いて快感。読む快楽。
しかしいまどきは話者をひとりの登場人物に統一したミステリーっていうのはありえないものなのか。どんどん視点が変わって、それはそれで映画的で面白いんだけど、ハイスミスのような限りなく一人称に近い三人称によるどうにもならない閉塞感もまたちょっと恋しかったりするのである。
あとね、ポール・アルテの新刊も買ったの。私この人の本て、楽しみすぎてあとにとっておいて実際に読む頃にはテンションさがってた(私の・笑)なんてことが2回ほどあるものですから、こんどは早く読もうと思う。
宿題みたいになってた村上春樹訳「ロング・グッドバイ」をやっと読了。素晴らしすぎて至福。チャンドラーの文体なんて考えたこともなかった。ヘミングウェイの「誰がために鐘はなる」みたい。本来、そういう作家だったらしいですよ。
ちょっとまえに清水俊二訳「長いお別れ」を読んだんだけど、こっちはかなり相当、原文をはしょっているのだそうで(熱心なファンには周知のことだったらしい)、その分すごくスピード感というかお話にリズムがあってエンターテインメントしてる感じ。なぜか私の頭には「三つ数えろ」のハンフリー・ボガード&ローレン・バコールの絵が浮かぶ。「誰がために・・・」のイングリット・バーグマンとか。そんで、正直、かっこよすぎてちょっと笑っちゃう。
新訳はほぼ原文に忠実なのだということ。作中にほとんどでてこないテリー・レノックスの造形が、お話がすすんでいくなかでだんだん明らかになっていくんだけど、ここがすごく迫ってくるんですよ。この書き方すごいなー。ハードボイルドってこういうものなのよ。このテリー・レノックスだからいいのですよ。みんな弱くて感傷的なところを持っているから生きていくのがハードなわけですよ。もうねー、夕暮れのギムレットとか美女の誘惑とか決め台詞とか殴り合いとかそういうのだせばハードボイルドなんじゃないんだからー! ハードボイルドを殺したのは誰なんだと私は強く問い詰めたいっ。って誰をかわかんないけど。
はーステキだった。もういっぺん最初から読んじゃおうかしら。
シリコンバレーの第一線で働く女性コンサルタント、渡辺千賀さんが若者たちに贈る「会社に頼らず働くためのヒント」
ということだそうですが、これがもーうすごい痛快で面白いの! 「こういう価値観がある」ってことを提示されたのがものすごく新鮮でした。
私は英語ができないし高度な技術も人脈も学歴も家族もなければ若くもないゆえ、一歩間違えればすごくひがんで受け取ってた可能性もなくもないのですが、これをそうとっちゃうのもったいないとか思っちゃった。シリコンバレーで働きたいって思ってる学生さんとかが読むのもいいけど、「ハケンの品格」で感動しちゃった派遣社員のおねえさんたちが読んでも得るところがあると思いマス。ユーモアの中にけっこう毒があります。私はそういうの大好き。
気に入ったところはこんな感じ。
◆「互いに理解できないのは当たり前」
宗教・人種・出身地・文化的背景が異なる人たちの寄り合い世帯なんだから、相手の心のヒダがわからなくても仕方ないよね、わからないところは置いておいて、わかりあえるところで協力していこう、という前向きな態度の人が多い。ということ。
◆カリフォルニア州では「競合企業への転職を禁じてはならない」という法律が19世紀からある。
日本だと会社が禁じてることありますよね。守秘義務は守らなくてはいけないとしても、転職もしちゃいけないなんて、人(の仕事とかキャリア)をバカにしてるとか前から思ってた。
◆レイオフが「常態化」した中では、「継続的に努力し続ける」ことの重要性を否が応でも気づかされる。
◆会社の全ての機能について、それを専門にしているフリーランスがいる、と考えてよい。
増資や売却の際に「外向きに見栄えのいいCEO」をぱりっとやってくれるフリーランスさえいる。マーケティング、PR、テクニカル・ライター、経理、人事、報酬体系だけを専門にしている人、レストランの戦略立案、糖尿病関連市場調査、医療機器事業のファイナンスのモデリング、医薬品の許認可、などなど百花繚乱だとか。私が関係あるのはここかな・・・。
私は最近、ベンチャー企業さん相手のコンサル&PRの個人事務所で現場レベルのお手伝いとかしてるんですけど、もうねー、今までいかに自分が大手広告代理店さん経由の大手企業さんのお仕事に抑圧されてたか、ほんと思い知りましたよ。だってPRとか言ったってプレスのほう向いてる人だれもいないんだもん。もうほんと、こんなくだらない情報のために多忙な記者さんの時間さいてもらうのいやだとかそういう気持ちがすごく強くなってしまって、私プロ意識ない? とかけっこう悩んでた。
ベンチャーはいいですよー、みんな必死だし話はやいしなんでもものごとがどんどん進むしあてにされるし、だから自分も集中するし、やったこと勉強したこと出会った人みんな自分のスキルとして身につくし、「こんなのできない・・・」と思ったら人の(代理店さんの)顔色うかがってないで自分で勉強すればいいんだよね。
という気がしています。ただし今のところあまり戦力にはなってない(←白状)
そういうふうにやっていくつもりなら、すごく勉強しないとね。それはもちろん、自分の身の丈というものはありますけどね。でも自分の身の丈なりにさ。
というものすごくシンプルなことに気付いてとっても刺激を受けました。がんばろっと。
On Off and Beyond
[渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
150円でした。Sさんありがと~。当時のマリクレでこの号(81号)だけ私は今でも忘れられずにいたのだ。中でも「岡本かの子生誕百年」記念の吉本隆明サンの講義録にぶっとんだものだ。小瀧達郎さんの写真入りで三段組み全10ページ!
古本好きの方は見に来てください。あーあと山本容子の挿絵で「つぐみ」の連載してた頃の1冊ほしいなあ。
またでてきた(笑) Switchの1988年12月号。あれから最低3回は引越ししてると思う、いや5回くらいか? 何回引越したかなんてもう忘れてる。なぜに私はこれを後生大事に持ち歩いているのか、謎。
あ、村上春樹の「ロング・グッドバイ」、買っちゃいました。早く読みたくなってしまったのです。
村上春樹の新訳「ロング・グッドバイ」を図書館に予約し、待ってるあいだに清水訳の「長いお別れ」を読んでみた。
これいいっすよ~(LOVE) 初めて読んだのは学生のころ、なにがいいんだかおばかな私にはちょっともわかりませんでした。そりゃそうよ、これは中年のためのエンターテインメントなのよ、今となっては登場人物たちはみな同年代、自分の身の丈はもうわかっちゃってるけど、でも譲りたくないことってあるのよね。
マーロウは年中妙なことにまきこまれて全編通して「やれやれ」とか言いまくってる。いや言ってないけど、まあそんなようなものなのです。ハードボイルドって「やれやれ」の美学だったのね。村上春樹の登場人物とある意味そっくり、なるほど、そういうことだったのか。古く感じるかなと思ったけど全くそんなことはなかった、やっぱり不朽の名作だ。
新訳はミステリマガジンでちらっとみかけた限りではもっと「かっこいい」印象。こちらも楽しみ。名作の新訳がでるとかならず賛否両論わきおこるんだけど、いいじゃないですか、みんながお上品な感想しか言わないなんて気持ち悪いですよ。ルネサンス期のフィレンツェとかだったら鍛冶屋のおっちゃんまで絶対喧々諤々だったに違いないと思うもの。
長持ち(のようなプラスティックケース)をごそごそやっていたら、Switchの1994年3月号がでてきてすんごい驚いた。巻頭は山本容子さんのグラビア&ロングインタビュー「世界と遊ぶ方法」。表紙の写真の右手が黒いのはもちろんインク。手でインクをのせていくから。上半身裸のショットも2枚。氏は「私はいつも刷るときはそうしているわ」とうそぶくのであった。
「すべては遊び。なぜそんなことをするのか。その回答はまず自由の追求だ。時代より走りすぎているといわれても、私が走っているのではない、あなたが遅れているのだ」山本容子
エッチング機の前にアーティストを全裸でたたせたマン・レイの作品を例に、
ほれぼれするその写真を例に山本容子は最初にまず自分の手を撮ってほしいと願った。右手と左手の太さの違い、左は華麗な気品であり、右は荒々しい生命力がほとばしっていた。(編集部)
もうねー、かっこいい。ナンセンスとか遊び感覚というのは「反逆」なんだなー。よしもとばななのエッセイのおびに「人生はJOYだ。そう思うことだけが反逆なのだと思う。 」と書いてあったんだけど、そんな感じ。
私は雑誌とかそんなにとっておくほうじゃなくて、ヤスケン時代のマリ・クレールさえ全部処分してしまったのになぜにこれだけとってあったのでしょうか。よほど印象深かったのに違いない。このころの氏の年齢に私は近づきつつあると思うと、自分のスケールなりにしっかりせねば、と思ってしまう。
しかしなにやってるんだ私。部屋めちゃくちゃ。ブログとか書いてるし。
フジロックの屋根と布団と1回500円(たぶん)のお風呂確保。ありがと~。友達が70リットルのリュックを貸してくれることになっているのだけど、ふだん気にならないとはいえ椎間板ヘルニアもちなのでがらがらひっぱっていけるものを買ったほうがいい気がする。どういうのがいいか思案中。
目黒川の桜の下をジョギング。川面を埋めるくらい花びらが散っていて、上流にむかって流れていた。風なのか、満ち潮だったからか。目黒川って満潮だと逆流するのでしょうか? 不明。
お洗濯たくさん。すぐ乾くので調子にのってなんでも洗ってしまった。
シャーマニストって言葉あるのかな。辞書でひいてもでてこないし、Googleだとちょっと出てくるけど、どういう定義かよくわかんなかった。
アルビは勝ちましたね。
読書たくさん。
オルコット「若草物語」
この邦題もよくつけたものだよなー、原題「Little Women」っていうのでしょ? 地下室から屋上までのぼっていく「天路歴程」ごっことかピクウィッククラブとかにわくわくしたものだけれど、今読むと姉妹の貧しさにたじろぐ。たじろぐ自分にまたたじろぐ。
トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の仲間たち」
江国香織「リトルスウィートライズ」
桐野夏生「リアルワールド」
有川浩「図書館戦争」
「財務諸表入門」と「BtoBブランディング入門」には手がつけられませんでした・・・。明日からやります。今週末は楽しいことばかりやっていたかったのです。
春ですね。
光文社古典新訳文庫がすごいことになっている。「眼球譚」が「目玉の話」に、「星の王子様」が「ちいさな王子」に、カミュの「異邦人」の冒頭が「今日、母さんが死んだ」になっている(これはどこかで読んだ・・・ 文庫本にはなってないみたいです)。それならいっそ、某大ベストセラー本にあやかって「今日、おかんが死んだ」にすればもっとインパクトあったかも。だめ?
「恐るべき子供たち」は中条省平・志穂両氏による新訳。私は鈴木 力衛(1957)の訳も佐藤 朔(1977)も高橋洋一(1995)も読んだことがない。東郷青児(1934)のあのものすごい過剰なデコラティブな文章がいいの、とか思ってたので(笑) こんな私に新訳を云々する資格があるだろうか。いや絶対ありえない。改めて比べてみたらほとんど「超訳」みたいなとこもあって、あれはほんとに東郷青児の世界だったんですね。
新訳はすっきり明晰でコクトーのイラストもふんだんに挿入されててあらたにこの本に出会った感じ。フレッシュです。ってそりゃそうでしょって感じですが。クールで疾走感があるのです。Mlle Cさんによると、
仕事帰りの電車の中で読み始めてまずあれっと思ったのは、原文の時制をかなり変えてあること。かろやかで、スピードの感あるコクトーの言葉を、テンポよく日本語にするための工夫なのだろう。もともとは長く連なっている一文を短く切って複数の文章にバラしている箇所も多く見受けられた。
ということなんだそうです。そういうことなんですね。ありがとうございます。
エリザベートとポールの病気のお母さんが35歳だったとあらためて知り、サザエさんが25歳と知ったときと似た衝撃を受けました。
伊東 乾 さんの「さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生」を読む。もちろん私は著者が現代音楽のどういう人かとか全く知りません。 地下鉄サリン事件の実行犯と東大で同級生だった人が書いた本。2006年の第4回開高健ノンフィクション賞受賞。
私は「この本信用できる」って思ったところが2つあって、ひとつはこの本はすごく感情的な本だってことで、だって同級生がオウムの実行犯でその友達のこと書こうとして当然「自分にもオウムにはまっちゃう心のスキみたいなものはあるかも・・・」とか考えると思うし、感情的にならないほうがへんだよとか思う。でも豊田被告の意向もあって、豊田被告の心情などは拘置所での会話ではなく裁判の陳述で紹介してるから、必要な客観性とか距離はちゃんととれてると思う。
もうひとつはどんどん発想が飛躍するところで、物理学からヨーガからナチスにルワンダ、玉砕に失敗学に楠公精神まで、そういう発想の飛躍を刈り込むんじゃなくてどんどん書いていくところが、私は信用できるって思った。たとえばどっかの会社が事業資金を募ろうとして事業計画書とか書いたらそれは発想が飛躍しちゃいかんわけですよ、市場の調査とかユーザーのニーズとか自社の適性とかを理詰めで説明してくれなくちゃおっかなくて投資家は投資なんかできないですよ、でも個々の人間てそういうものじゃないと思うのです。その発想の飛躍の仕方がその人らしさをあらわすものなんだろうと思う。だからこの人は、とにかく正直に書いたってことが伝わってきた。裁判の判決は事業計画書に似てるな・・・ でもこの人が書こうとしたのは、個々の人間なんだろうと思う。だいたい、どんな欠点があろうとこの立場でこれ書ける人ほかにいないわけだし。この人がこれ書いてくれて私はすごくよかったです。
作曲家の吉松隆さんがご自身のブログでこの本の紹介をされてるんだけど、こちらも興味深い。え、現代音楽ってそうなんですか???
また 日本海側で大地震。うちの実家(新潟県下越地方)も、中越地震くらい揺れたらしい。お友達とかお友達のお友達とかお友達のお友達のお友達とか、みなさんご無事ならよいのですが。
この一週間はもうやることいっぱいあるのに、スケートにシンクロにサッカー、テレビばっかり見てた、シンクロはデデューのソロ「マリア・カラスの生涯」がすごくよくて、水しぶきが効果とか演出みたいだった。世界フィギュアスケート選手権2007東京は、みんな若くてねー、でもいい結果がでてよかったです。男子は高橋選手が2位、女子はミキティが優勝、真央ちゃんが2位。来シーズンも楽しみです。サッカーは久しぶりのオシム・ジャパンでやっぱりA代表っていいなーとか思ってみてた。
1959年に発表された、日本初の本格長編ファンタジーと呼ばれる傑作。子供のころ読んだんだけど、雑誌で佐藤さとる氏のインタビューを見かけたのでもういっぺん読んでみた。
子供のころの記憶では、このお話、童話に似つかわしくないなんかもの哀しい印象があったのだ。小人たちはいきいきしてて、少年との交流も楽しそうで、ハッピーエンドにも関わらず。あらためて読んだらそのわけがわかったような気がした。
ストーリーはこう。ある田舎の町で暮らす少年が、誰も近づかない小さな原っぱ&小山を気に入ってよく遊びにいくようになる。そこへ小人が姿をあらわす。あっ、と思うんだけど、姿をあらわしたのはいっぺんだけ。戦争をはさみ、大人になった少年は再び小山を訪れ、また小人たちに出会って仲良くなる。主人公は小人たちを守るために道路建設計画を阻止しようと奇策を考える。作戦は成功して小人たちと少年の大切な場所は守られたのでした。
っていうんだけど。
なんかこの少年(後半では大人)がね、小人たちと、小人を理解してくれるもうひとりの女の人以外を受け付けないようなところがあるんですよ。話の性格上、そういう展開になるのは当然といえば当然なんだけど、なんか必要以上にそんな感じがした。
たとえば、大人になった主人公のそばにはいつも小人たちがいるので、なんにもかくしごとができない。でも青年はそれを疎ましく思うどころか、いつも見守られていることがうれしくて、小人たちに「心をあけわたしたようなもの」とさえ言う。未知の文化をもつ人々とこっそり交流するのはわくわくする体験だと思うけれど、電気工事店で働きながら小人たちに「心をあけわたして」しまう青年は、いったいどれだけさびしかったんだろう、って、大人になった私は考えてしまったんです。
背景にあるのは戦争です。ほんの10行程度の描写。家がやけたのをとくいになって話しあったり、小型の飛行機にばりばりうたれる命がけの鬼ごっこがおもしろくてたまらなかったりする。お父さんは帰ってこない。子供たちは奇妙に明るい。その10行が大人になった私には重かった。戦争が終わったあと、変わらずにある小山を見出した青年は、歓びのあまりにその小山に(心理的に)閉じこもってしまいたいと、つまりそれくらい深く、傷ついていたんじゃないのかな。って、考えてしまったのです。
子供のころに感じた「もの哀しさ」はこれだったのか。
挿絵は村上勉さん。このイラストがまた繊細で奥深いんですよね。わくわくするようなおとぎ話でありながら、なんだか、切なかったです。
この人の新作を待ってたのです。幼いころから芸能界で人気者だったある女の子のお話。北野タケシの映画「キッズ・リターン」の女の子版という印象。でもタケシの映画では男の子たちはキッズにリターンするけど、女の子は女の子にもどることはできないの。なぜならそれは女の子だから。
心情的には、「美少女作家」と呼ばれてストーカーにまであった氏自身の感じた部分も反映されてるように見えた。そうだとしたら(あくまで憶測ですけど)、それをこんなにハードボイルドにしかも抒情的に書いちゃうなんてすごい。文章も構成もますますスケールアップ、陳腐な例えだけど、ほんとに大輪の花が開こうとしてるみたいな感じ。女の子&元女の子必読。
今売ってる都市出版「東京人」3月号で、安原真琴さんが、88歳の現役吉原芸者、みな子姐さんのインタビューをされています。写真はタカザワケンジさん。
自宅のパソコンがいよいよ起動しなくなってしまったので、ニューパソを入手するまでしばらくお休みします。生きてますので連絡・お誘いは携帯に直接ください。会社ではネットは当然利用してますけど、mixiとかはあんまり行かないかもです。
今日は上野にお墓参りにいって、帰りに上野桜木のお宅におじゃましました。ここのとこネット系のことを考えたり勉強したりする機会が続いたので、生粋の江戸っ子のお姐さん方とお話するのはフレッシュですごく楽しかったです。江戸っ子とネット文化って、ほんとには、接点ないかも。理解しようとする努力はあり得るとは思うけど。でも過去を切り捨てると、人間て正気を保っていられなくなるんじゃないかって気がします。
これは上野のまんが喫茶から書いています。はじめて足をふみいれました。きれいでおしゃれなお店は満席だったので、ちょっと地味な感じのとこにはいったんだけど、カーテンでしきられた個室がなんともいえない風情です。
寝る前に甘いホットミルクをこしらえて、ふと気が向いてインスタントコ-ヒーをひとさじいれてみたら、全く眠れません。今6時前、もう寝ません(苦笑) 明るくなるにはまだちょっと間があるかな。
小川洋子の短編集「海」を読む。2004年から2006年にかけて発表されたものが採録されている。小川洋子のお話の登場人物って、みんなすこしどこか壊れていたり欠けていたり不安定だったりするんだけど、その欠けてしまっているところをなぞる作者の指先のなんと注意深く繊細なことか。否定も肯定もしないで、ああここが欠けているんだ・・・ とそっとなぞる。そういう世界があるだけ。激しくうっとり。
売れたかどうか、という意味では「博士の愛した・・・」とは比較にならないだろう。でも私はこのひっそりたたずんでいるみたいなこの短編集がもっと好きです。短篇ってそういうものなんじゃないかな、なんて思ったり。吉田篤弘さん、浩美さんの装丁がまたすごくいいんです。
←サインください(笑) 銀座のBook1stでものすごい勢いで平積みになってました(報告)。これ表紙に著者の顔写真とかはいってたらもっとインパクトあったかも。書店の目立つコーナーにiioさんの顔がいっぱい。ぷぷ。
ヨーロッパの音楽家については、私はフリードリヒ・ヘルツフェルト「わたしたちの音楽史」を読んだことがあったのですが、こっちは伝記としてすごすぎて奇人列伝にしか見えず、音楽家の話だってことを忘れてしまうという難があり(私的に)、でもこの「クラシックBOOK」はのだめも「2001年宇宙の旅」も「敬愛なるベートーヴェン」もでてくるし付録CDもついてて、ちゃんと今の音楽好きの人のための本で(当たり前だけど)うれしいデスヨ! 笑ってしまうので電車では読めませんけど・・・。
そんでいそいそと付録のミニCDをかけるのであった。それが茂木大輔サンの選曲がまたもう~すごいんですよ! 顔がゆるんでよだれでそう・・・。ショパンの「別れの曲」はモニク・アースという人よりタマーシュ・ヴァーシャリという人のが好きかも。あ、なんかツボにはまったかも(笑) CDは誰かが選んでくれたの聴いてるのが楽しいなー。
コンサートはといえば、今年はベルリン・フィルに行こう! と思ってたんですが、フジロックに3日間参加する可能性が高いので、そういうビッグイベントは1年に1度にしておこうと思って、ベルリン・フィルは来年にとっておくことに。私がいくまで解散しないでください。だって今度行こうと思ってると絶対解散したり死んじゃったり引退しちゃったりするじゃない。知り合う前に引退しちゃったラインハルト・ゲーベルという人、いったいどういう人なのか未だに謎です。
この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!
クラシックBOOK
飯尾 洋一
自分的メモ:タマーシュ・ヴァーシャリのショパン
なんかムーミンがかかりつけのお医者さんにそう診断されていました。いやほんとに。
ガルシア・マルケス「わが悲しき娼婦たちの思い出」をぱらぱら眺めるも三分の一くらいで挫折。私はブコウスキーとかのほうが好きなのでこれはちょっとはいっていけませんでした。あんまり間口を狭くしないで読んだほうがいいのかもしれないんですけどね。まあいいやといって放り出す本が年々すごい増えているような気がする。
経営コンサルタント(のアシスタント)の勉強をしなくてはならないようです。マーケティングやブランディングの本をどさと渡されました。とりあえず「株式公開のやりかた」というセミナーを予約。しかし私がコンサル(のアシスタント)とは、TOKIOってこわいかもです。がんばります。生き延びなくちゃ。
あ、まだ5時だ。まだいろんなことができる♪
(元)アル中探偵マット・スカダーの16作目。シリーズ初登場から実に30年たっている。私が初めて読んだのは日本初登場の12年くらい前(笑) アルコール中毒を克服しようとしている人たちの団体、AA、Alcoholics Anonymousを私はこの本で知った。そして最新刊、60代も半ばになったスカダーはやっぱりAAの集会に通い「××と言います、アル中です」なんていう告白の場に参加しているのだ。重い。アルコール中毒のことを書いた本は「失踪日記」「失点・イン・ザ・パーク」と2冊読んだけど、あれって幻覚真っ最中のときより、お酒をやめようと決心してからが何千倍もたいへんなのかもしれないな。
途中ちょっと読むのきつかったんですよ、例えば。
時代を反映してメールにチャットにニュースグループの掲示板、デイトレードにダイレクトマーケティングと今風の言葉がちりばめられているけど、なぜかそのあたりはリアリティゼロ。そこらへんのハイテク関係ならパトリシア・コーンウェルのほうがずっとうまいし、逆にピーター・ラヴゼイみたく頑固爺刑事が「このオレがそんなもん使うか!」と言い張って警察署内で波風たてまくる、なんていうほうがミステリーの枠組みの中では妙にリアルだったりする、ミステリーってあくまでファンタジーなわけだから。
そんでこの殺人事件がまたなんともいやな感じ、もうそんなに猟奇的殺人魔の心理描写に紙面を費やさなくていいですよ、もうね世間は癒しとスピリチュアルと運命の大恋愛を求めているわけですよ、なんかこんなひどいことやる人の心理とか知りたくないですよ、読んでるのつらいです。
っていう感じで、「やっぱり私はこのシリーズは苦手かも」って何度も思ったんだけど。
でも読み終わったらなんか妙な爽快感があった。このシリーズの魅力はやっぱりこのスカダーというキャラクターなんだな。重苦しいし読むのしんどいんだけど、読み終わったあとには、昨今のいやなニュースでげんなりしてる気分をスカダーが代わりに引き受けてくれてるみたいな、妙にすっきりした気持ちになるのです。誰にでもできる(書ける)ことじゃありませんね。質のいいエンターテインメントってこういうものなんだな、と感じ入りました。ずっしり重くて面白かったです。
80年代のリブロを経て97年にジュンク堂に移籍した書店員、田口久美子さんの書店裏話。もうすごい臨場感ですよ、ぜんぶ面白かったけどジュンク堂新宿店オープンのくだりは記憶に新しいだけに圧巻。リブロの話はあんまりぴんとこなかったけど(あの頃私は別の星に住んでたので)、理工書やボーイズラブやライトノベルスがこんなに奥深いものだったとはっ。
そうそう、私もありましたよ、ジュンク堂じゃないけど某書店で上下2巻のミステリーを買ったら、カバーは下巻なのに中身は上巻だったこと。つまり上巻を読み終わってわくわくして下巻を開いたらまた最初から始まってしまったのですよ、上巻が2冊だったんですよ、書店に交換してもらいにいったとき、私は自分を抑えたつもりだった、でも書店員さんはびびってたと思う、いやーあのときお店にあってよかったわ、在庫がありませんお取り寄せです2週間かかりますとか言われたらあばれてたかもしれません、ていう顔をしてたかもしれません、いやだわあたしったらはしたない、ごめんなさい~、などと客としての自分をふりかえってしまったのでした。
私はこの人ファンだから、というかこの人の書く本のファンだから、もうなんでもいいのです(笑) なんでフレンチ修行中のシェフの卵たち? とかなんでこのタイトル? とかなんでこういう展開? とかいっぱいついていけなかったんですが(笑) 言葉を読む快感ていうのがすごいあって私は好き。言葉じゃなくてはできないこと。気持ちいい。そして星野勝之さんのイラストがかっこいいんだよな。あとカバーの紙の手触りとか。今回の舞台は大雪の日の山手線です。この作家は毎日通勤やなんかで乗っかる山手線にぜんぜん違うものを見出すのです。
しかしほんと中身を書かずに本の感想書くのってむずかしいわね。なんだろ、幻視者としての古川日出男の資質がどうのとか書けばいいんかな。私には無理じゃ(苦笑) しかし作家研究をしたいわけではないので(なんかそういうのってストーカーっぽいような気がしてしまう)、「あー面白かった」といって読んでればいいんだ、私の場合。
「の」のつくドラマ、毎回もらい泣きしそうになりつつはや最終回のいっこまえ。音楽まんがで音がでるっていうのがこんなに楽しいものだとは。来週もいそいで帰ってきてみなくては。クリスマスだけど(笑)
さて最近、図書館サイトの蔵書検索・予約を利用しています。区内の図書館にある本を最寄の図書館まで届けてくれるのです。調子にのって予約しまくっていたら大量に本が届いてしまいました。なんで一度にくるのでしょうか。ジャン・フィリップ・トゥーサンから藤原和博、アガサ・クリスティーにラヴゼイ、奥田英朗まで。
部屋の整理をしてソファーから死角になるところに洗濯物をかけるくぎをうったらそこはパソコンの真上であったのであり、インタアネットを見ようとすると天井から釣り下がっているずぼんだとかシイツだとかをかきわけなくちゃならないのでちょっとブログから遠ざかり気味(乾かないから)(ずぼんが)
喫煙者です。肺までは吸い込んでないんですけど。一日、一箱弱くらい。うちでひとりでいるとひまだからです。どう考えてもいいことなんかないのに、さすがに「これは中毒である、ビョーキである」と自覚してきました。何年も、
「あーやめればいいのになー、なんか煙草があると灰皿のまわりがなんとなく汚いのよね・・・ だいたい、コットンパックだのビタミンサプリだの飲むより煙草をやめるのがお肌に一番いいのわかってるし。出かけてもすぐ煙草が吸えるところ探しちゃうし。バカみたい・・・」
と思い続け、それでも「いやでもひまなんだよねー・・・」という動機でやめられなかったのです。そして今もやめていません。こんど、IDカードがないと買えなくなるんですよね。IDカード取得申請はしないつもりです。そしたらいくらなんでもやめるだろう・・・ どうだろ、自信ない。といってニコチンパッチとかニコチンガムとか納得できないわけですよ、なんでやめようとしてるのに別の方法でニコチンを摂取しなくてはならないのだろうか。私の場合、ニコチン自体はそんなにすいこんでないと思われるので逆効果になりそうですよ。
そんな私がそれでもちょっとでやめそうになったのがアレン・カーの「禁煙セラピー」。だいたい、アメリカのセラピー系ハウツー本って、効果のある人にはすごくあるわけですよ、もうほとんど「洗脳」って感じです。私はテレビドラマを見ても本を読んでもものすごく燃費がいいので(暗示にかかりやすい?)、これは効果がありました。一週間くらい。もうちょっとしたら読み直してまたトライしよっかな・・・。・・・が多いのは弱気な証拠なのですが。
しかし亡くなった原因が肺がんてオチみたいだなー。きっと冗談の通じる方だったのだと思います。ご冥福を祈る。
青弓社「クラシック音楽の政治学」を読む。音楽学とか社会学の先生がクラシックの周辺とか政治との関わりとかを書いた本。クラシックを10年くらい聴いてる人ならけっこう知ってるような話ばかりかも? と思ったものの、私はクラシック切り口でものごとを眺めたことがなかったので面白かった。
1920年頃から1990年代頃まで、クラシックがどういう風に聴かれてきたか。最初は進取性に富む若者が愛好し、でもそれはヨーロッパでそうだったように社交に有利なものというよりは、苦学生が名曲喫茶で自分の殻に閉じこもって聴くような聴き方で、だから大人になるとあんまり聴かなくなったらしい(仮説)とか。
その中でもアカデミズムの世界の人が学問を楽しむようにクラシックにはまった、とか。その流れで1970年くらいまではヨーロッパのホンモノをありがたく拝聴する傾向があったけど、バブル期にどういうわけか「癒し系ワールドミュージック」の一環みたいな感じで大ブームになったとか。私この頃ぜんぜん知らないんですよね。大ブームったって、関心のない人間には全くといっていいほど届かないものなのね。「ブルガリアンボイス」はちょっとなつかしかったけど。1991年のモーツァルト没後200年記念の便乗ビジネスとして、「モーツァルトを聴かせて醸造した日本酒」売上目標1500万円とかいう例があげられていて爆笑する。ちなみにマイルス・デイビスが死んだのがこの年。
惜しいのはこれ2005年4月刊行の本なので、ラフォルジュルネ日本上陸にも「のだめ」をはじめとするクラシック漫画にも、テレビドラマ「結婚できない男」「のだめカンタービレ」にも、あとインターネットの普及とか音楽産業におよぼした影響とかにも全くふれてないんですよ。いまさらヨーロッパと非ヨーロッパの対立とか言われてもぜんぜんぴんとこないです。いま21世紀だし。
あと戦争中のオーケストラの活動についての文章も面白かった。国家の政策として演奏活動が規制されるのと、ジャズみたいに「あってはならないもの」と決めつけられるのと、どっちがたいへんだったかな、なんて考えたり。
そして巻頭の渡辺裕サンの「ウィーンの表象と観光人類学」が一番興味深く読めた。観光という行為が音楽の都をつくりあげているってことだとか、音楽の都のローカルさがメディアの発達した現代では一種の戦略になってるとか、そもそも音楽の都といったって元は政治的な意図によってつくりあげられたものだとか、そういうことがウィーンやウィーン・フィル、モーツァルトを題材にして語られるエッセイ。このセンセの「聴衆の誕生」(1989年)って“古典”と呼ばれてるんですか? 読んでみよ。
とまあそんな感じでとっても面白かったです。なんというか、「クラシックの中の人もたいへんだなぁ~」と思ったのでした。
だがしかし。
「政治学」っていうタイトルは風呂敷を大きく広げすぎって感じでちょっと恥ずかしかったです。もっとフツーに「クラシックとその周辺」とかそういう内容なんじゃないかと思いました。
10月28日(土)
天気がいいのでベッドパッドなどせっせと洗濯。夕方、代々木公園のネイチャー系イベント「アースガーデン」をのぞきに行く。タイから帰ってきたばかりの友人が、日本で売ってるようなタイとかアンデス系の民族衣装はおみやげ物の浴衣とか甚平みたいなものなので、着るなら旅行者というコンセプトで着るのが粋である、なんぞと語っており、なるほどと思う。かっこいいと思ったTシャツがあったのだが、タイ語でなんて書いてあるのか全くわからないのでやめておく。
10月29日(日)
晴れたので神田古書祭りへ。なんにも考えずにスーパーで買い物してるみたいに、ワゴンを通るはしからぽんぽん本を買ってしまった。しばらく楽しめます。以下、買った本。
川成 洋「世界の美術館」丸善ライブラリー
高山 宏「江戸の切り口」丸善ブックス
山田 庄一「歌舞伎音楽入門」音楽之友社
渡辺 裕/増田 聡「クラシック音楽の政治学」青弓社
「panoramic mag.is 増刊号“色”」ポーラ文化研究所
「装いの文化史 江戸の女たちの流行通信」ポーラ文化研究所
バイロン「マンフレッド」岩波文庫
サド「恋の罪」岩波文庫
サド「ジュスチーヌ または美徳の不幸」岩波文庫
山本昌代「手紙」岩波書店
主婦の友生活シリーズ「懐かしい味わが家の定番おかず」主婦の友社
帰りに渋谷で軽く飲み&おしゃべり。来月中くらいに、久しぶりにうちで飲み会やりますか。体調もかなり回復してきましたので。みんなでわいわい、音楽聴いたりDVD見たりしたくなりましたよ。
さてこれからお風呂にはいってお弁当つくるのです。眠い~
2004年ウクライナ大統領選挙
北海道大学スラブ研究センター研究員による選挙監視体験記
あれ、メモしておこうと思ってまちがえてあげちゃった。これからウクライナの作家、アンドレイ・クルコフの「大統領の最後の恋」を読むので、ウクライナ関連記事を拾い読みしてたのです。読んだら感想書きまーす。
友人が送ってくれたカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を読む。すごくよるべなく漂っているような気持ちになってしまった。
設定の数奇さに対して、登場人物たちの言葉や行動はこまやかすぎるくらいこまやかに語られる。その「私」の語り口といったら、異様な事態にも関わらず、ほとんど乖離してるといってもいいくらい抑制されている。主人公たちのおかれた恐るべき状況が、他人事のようにも見えるし、でもすごく切実にわかるようにも思えるし、私はすごく宙ぶらりんにつかまるところもなく放り出されたみたいに感じてしまった。
ほんとは「よるべなく漂う」どころじゃなくて、すごく流れの早い川を流されているようなものなのかもしれないけど。「よるべなく漂っている」ことを直視するのは恐ろしい・・・ できれば見ずにすませたいと思っている自分がいたりする。
前から思ってたんですけど、ノーベル文学賞とか、フランツ・カフカ賞って、選考委員の人は翻訳で読んでるわけですよね。村上春樹って、翻訳されるとよくなるんじゃないのか。だって国内の評価と海外の評価が違いすぎるとか思うの。
好みの問題だろうとは思うけど、春樹氏の文章って、日本語のままだと、どうも私は、これ日本語なの? いやでも翻訳モノともちょっと違うし、みたいな、なんかイタタマレナイ感があって、苦手なのです。一方で、日本語で読んでスリリングな文章が、翻訳されて海外で評価されるわけないよな、みたいな感じもしたり。
村上春樹が英語で書いた小説を、柴田元幸が日本語に訳したものっていうのが読んでみたい。そしたら私は、もっとハルキが好きになれるんじゃないだろか。英語でハルキを読んだ人の印象が聞いてみたいところです(私は外国語ができないので)。
私はSFはあんまり読んだことないのだ。フィリップ・K・ディックが何冊かと、「惑星ソラリス」、「華氏451度」、「ニューロマンサー」に「スラップスティック」、あとバラードは2、3冊読んだかな、それと「ミクロの決死圏」とかそれくらい。ミステリーのほうがもうちょっとくらいは読んでるかな。つまみぐい程度ですが、まあ何となく何年代にどんなのが流行ったとか今どんな感じかくらいはおぼろげながら感じるものがあるっていうか。そんな読んでないけど。
2001年が遠い夢のような未来だった時代のSFを2冊続けて読んだ。アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」とロバート・A・ハインラインの「夏への扉」。ミステリーを全く読みつけていない人が、21世紀になって「月長石」だとか「時の娘」だとか「幻の女」だとかヘンリー・スレッサー(ヒッチコック・マガジンの看板作家)なんかを初めて読んだとしたら、こんな印象を受けるのじゃないかしら。フレッシュで、典雅で、人工的なお話の世界が心が洗われるように美しいんですよ~。
あともう一冊、クラークの「楽園の泉」も。すごい驚いたのは、静止衛星のアイディアじゃなくて、未知の星から探索機がやってくるくだり。すごい高度な文明をもってるらしい星から、探索機がやってきて地球にコンタクトをするわけですよ。そんで地球上をとびかっている電波(テレビとかラジオ)から地球の文化を学習するのね。地球の人々はなにか伝えようと辞書とか哲学書とか歴史書とかのデータをせっせと送信するのです。
すごい新鮮だったのは、スターグライダーっていうその探索機が、地球と交信している間は、地球上のテレビから暴力的な描写が少なくなったっていうところ。美しい・・・・。高度な文明を持つ未知の国からやってきた訪問者を、自国の利益に利用しようとする大国とか、とりあえずいない。あり得ない。こういう世界観のお話の世界があるのかー と思って、とりあえずそれにびっくり。
そういう感じって、1970年頃のSFの傾向なんかな? そういえば、私はいつ、1930年代がミステリーの黄金期と呼ばれていることを知ったのだったかしら。ある意味、時間旅行をしてるみたいな気分。
作者が角田光代のだんなさん、というところばかりがクローズアップされてしまった芥川賞受賞作ですが、けっこうよかったですよ。
20代の脚本家志望のフリーター青年と、編集者志望の女の人の離婚の話。嫁ハンが食品関係の会社の出版部門に転職したものの、仕事の内容ではなく人間関係で会社を辞めたあたりから、ふたりの様子がおかしくなっていく。嫁ハンの名前は「知恵子」、お話は「千恵子抄」を連想させる展開に。そんで結局離婚することになりましたってわけなんだけど、これがすごいいやーな感じの話で、ああ~そういういやーな感じになるときってあるわよ、みたいな感じで、うまいなーと思いました。
主人公は自販機の補充のバイトをしてまして、そのときの女性正社員の相棒とのやりとりの中で、この離婚にまつわるいやーな感じの話が語られるのです。
ただ私はねー、この自販機の補充のくだりはいらなかったんじゃないかと思うのです。
いやーな感じの話に適切な距離を持たせたかったのかなと推測するのですが、どっちかというと、なんか言いたげな、でも書き手としてはアマチュアの人のブログが、ブログ炎上に予防線をはるあまり、歯切れの悪い言い方に終始するとかいうのと似て見えてしまうというか。
いや、ていうか、小説の世界で、離婚だとかフリーターだとか夢に敗れたとか一時的に情緒不安定になったとかいう話って、そこまで周到に予防線をはらなくちゃいけないほど、恥ずかしがるような出来事じゃない・・・ と、感じた、のだろうか?? 私は? いやまてよ、この恥ずかし気? が現代の若者? を表している? のであって、それがこの人の味なのか? それならそれを前面に(寝言じみてきたので以下略)
しょせん外野は外野です。なんでも好きなこと言えます。えらそーですみません。ああなんだかわかんないけど恥ずかしい。なんでしょうこの感覚。
あ、「結婚できない男」の時間だ。見よっと。中年向けラブコメディ。
生理の出血が止まらなくてふらふらします。更年期障害かも。子宮癌検診に行ってきます。
毎朝ラジオ体操に行ってますが、お年よりばかりです。ラジオ体操から子どもが消えたと、朝のワイドショーで言っていました。
うちの近所のスーパーではトマトが2個198円です。少し離れたところにある安いスーパーで、4個298円のトマトを買いました。その直後、同じスーパーで1個55円のトマトを発見しました。未熟。
お金儲けをたくらんで、地デジの勉強を始めました。そしたら、最初に静止衛星を利用するアイディアを着想したのは、SF作家だったという記述に行きあたり、アーサー・C・クラークの「楽園の泉」を読みはじめました。絶対お金持ちにはなれないと思い知りました。知ってたけど。
ああブルーな水曜日。
ユリイカ8月号で古川日出男特集。「ベルカ、吼えないのか?」について語っているところが面白かった。「ベルカ」から注目した読者がたくさんいますね、とインタビュアーにふられて、こう答える。
世の中の人はシリアスにやらなきゃわからないんだってことをいい加減理解したんだよね。世間的な“シリアス”ね。俺から見ると、いきなりシベリアで暗殺者がなんとかってかっこ悪いんだけどさ。ヤクザの言葉とか、書きながら苦笑してた(笑)。あんなヤクザはTVドラマや映画の中にしかいないけど、みんなヤクザをそれでしか知らないから、それが“リアル”ってことになっちゃう。それが間違ってるてことをわかった上で、苦笑しつつ、あるいは必死に耐えて書いていった。でもそれでやっとみんな真剣に読んでくれるようになるんだよね。でも、どうしても我慢できなくて、メキシコのところだけ「怪犬仮面」とか全力でふざけた(笑)でも、俺に読まれる程度の世間じゃやっぱりダメなんだよ。それが読めて、書けるようになった自分が嫌だった。直木賞の候補になったけど、これで取れてしまっていたら、嬉しいよりものすごく絶望的な気分になったと思う。
ええっ、そうだったの!?
まあ確かに、作者がいい気になって書いてる“わざとらしさ”っていうのは、読んでるほうは白けるものだ。“わざとらしさ”の芸ってのいうのは、“必死に耐え”なくちゃ書けない、っていうくらいの批判精神のもとに書かれるのでなければ、つまんなくなっちゃうものなのかも。よくあるでしょ、すごい都合のいい(顔がいい・からだがいい・気立てがいい・気前がいい)女が「ああんああん」とかいってやられまくってるハードボイルド小説とかさ。
古川日出男の小説って、“わざとらしさの芸”の部分がかなりの程度あるような気がして、私はそこが魅力に思ってたのですが、作者ご自身はそう思ってらっしゃらないのですね。本って、世に出たら作者の手を離れてひとりで転がっていくものなのかも。読者は誤読するものなのです(笑)
この特集ではいろいろな人がムツカシイことを書いていますが、豊崎由美さんが、「ベルカ」の古川日出男を、ちょっぴり遠慮がちに、でも大絶賛してて素敵です。豊崎サンが大絶賛する本は、私はたいてい好き。「ベルカ」とか町田康の「告白」とか。フツーの絶賛の本はあまり性にあわないのだけど(笑) でも、自分が心から好きなものを全力で紹介してるのが伝わってくるので、とても爽快なのです。
特集巻頭の吉増剛造さんとの対談も面白かった。
関係ないけど、町田康がホームページで日記だとか詩をアップしてて驚いた。ネットとかやりそうもないイメージがあったざんすよ。
先日テレビでやってた「ハウルの動く城」の原作なんですけど、これすごい面白い!
作者のダイアナ・ウィン・ジョーンズはトールキンに師事してたということなんですが、トールキンのような真面目くさった感じはぜんぜんなくて、どっちかというと底抜けに明るいボリス・ヴィアンとかジャン・コクトーという感じ。「魔法」はすごく豊かなイマジネーションを支えるアリバイみたいなものなのです。
このハウルという魔法使いが傑作。とてもルックスのいい優秀な魔法使いなのに、うぬぼれが強くて、毎日2時間もお風呂にはいっておめかし、不正直でだらしなくて、めんどくさいことからは逃げ回り、なにか聞いてもすぐはぐらかす、いつもうっとりするような花の匂いをさせていて、女の人をおっかけてばかりいるのに陥落させるとすぐ飽きちゃう、お金には無頓着、でも何も言わないけどけっこう親切だったりするという、強いて言えばピーター・パン系譜のキャラクター。
バリの「ピーター・パン」と違うのは、相方のソフィー(魔女の呪いで90歳のおばあさんになっちゃう女の子)が、ハウルと似たりよったりのプッツンキャラだという点。話がどんどん思いもかけない方向に転がっていっちゃう。ラブ・ストーリーなんですけど、ラストでハウルが「ぼくたちって、これからいっしょに末永く幸せに暮らすべきなんじゃない?」って言い出すところなんかもう爆笑。ぜーーーったい、このふたり、何事もなく幸せに暮らすおとぎ話のような展開にはならないだろうな、このふたりの行く末って波瀾万丈だろうなって思わせてしまうのです。要するにパンクなカップルなのだ。かっこいいのだ。
読んでいてひとつひとつのエピソードや描写のディティールにわくわくしました。読んでるのが快感なのです。これは詩ですね。脇役もみんなイキイキしていてたし、ラストの一行まで完璧。久しぶりに面白かったなあ。
ところが。
宮崎駿監督の映画「ハウルの動く城」はですよ。
ピーター・パンが家長としての責任に目覚め、ネバーランドには帰らずに、愛するものを守るため戦火の街にとびだしていくという話になっていた。
それでもポリシーとして、ピーター・パンが大人になるお話を描きたかったんだというのが伝わってくれば、好きかどうかは別としてまだ納得できるのですが、この原作を読んでしまうと、映画のほうは原作の万華鏡のようなきらきらするイメージを映像化することができなかったから、陳腐な作りやすい話に貶めたという風に見えてしまうんです。ていうか原作に戦争の話はでてこないし。
ジブリ映画は好きなものもあるんだけど、これは失敗作と言わざるを得ないんじゃないでしょうか。でもジブリ作品になったから、私も原作を読んでみる気になったわけで、そういうところは流石だなーと思うんですけどね。残念。
古川日出男の初短編集「ルート350(サンゴーマル)」を読む。
私がこの人の小説を好きなのは、作者が1966年という同じ年生まれだからかなーとも思う。
8つの短編は、全部、「場所」の物語だ。飯田橋、武蔵野、佐渡島、運河をコンクリートで隠した郊外の町、地上げで取り残された廃墟のようなビル、浦安のディズニーランド。お台場。林海象「濱マイク」シリーズで描かれた伊勢佐木町なんかとは違って、もっとふわふわした天使さま視点で描かれた「場所」のお話。
アンディ・ウォーホールのミッキーマウスを見ても(そしていろんな人の批評を読んでも)、「ふーん」とは思うけどそれは私の感覚じゃない。古川日出男の書く、地の底から響いてくる音楽こそ私の体験したディズニーワールドだ。「お台場」に抱くこの複雑な気持ちだって、こんなにつきはなして、でもこんなに繊細に書いた人いるだろか。
でも、もしかしたら、同じ部分が読む人によっては好きになれないところかもしれない、とも思ったりする。「同世代」とひとことで言ったっていろんなことを考える人間がいるわけで、それで全部ひとくくりにしてしまうのはちょっと乱暴ですね。私の場合はおおいに関係あるような気がするのですが。
だから「お前のことは忘れていないよバッハ」を冒頭にもってきたのはわかるような気がする。この物語の起こる「場所」は「家」なんだけど、これは時代とは関係ないので、ディズニーランドができたころとかお台場とか地上げとかの記憶がもうない人にも受け入れやすいと思う。
この作者は音楽やダンスがものすごく好きらしくて、小説の随所にいろんな形で音楽やダンスがあらわれる。「お前のことは忘れていないよバッハ」ではバッハのオルガン曲や合唱曲がでてくるんだけど、その使い方がすごくうまいのだ。うわーこんなふうに使うのか。どういう回路でこういうアイディアを思いつくんでしょね。もう泣いちゃう。って感じで。私はバッハのことを、こういうふうに知っている、っていう感じがすごくしました。
安原さんつながりのお友達、時代小説作家の松本賢吾氏に電話して泣き言を言っていたら、自著を2冊送ってくれた(サイン入り!)。よきお方である。
双葉社の新シリーズ「はみだし同心人情剣」。南町奉行所のはみだし同心駒次郎が、名奉行大岡忠相を助けて大活躍。すっごい面白い! 江戸の風物や人々がどんどんイキイキしてきてるの。登場人物はみな、からっとして気風がよくて、ええかっこしいなのだ。
平和なときの駒次郎のヒマそーな様子や、事件がおきるととたんにスイッチはいったみたいに勇んでとびだしていく姿も、20年代黄金期ミステリーを思わせて○。殺人なんてネタなんだからさー、ウィムジー卿みたいに「やったー 死体だ!!」って大喜びするくらいの探偵じゃなくちゃ、読んでてもつまんないわけですよ。でも今はしゃれにならないからね・・・ そういうエンターテインメント小説の粋っていうのは、時代小説の中にこそ見出されるものなのかも。
後書きではネタ探しにずいぶん苦心されたということだけれど、作者が苦しめば苦しむほど、読者は面白いものですな。うふふ。
AFP通信社のオフィシャルブログで、井村俊義さんという方がヒスパニックの現在について紹介している。その井村さんの個人ブログで、アルフレッド・アルテアーガというチカーノ(メキシコ系アメリカ人)詩人の方が、手術の費用を募っていることを知った。代表として、今福龍太さんが募金のとりまとめをしているそうです。
んと、ぜんぜん知らない人だけど、いちおちょっとだけ送っておいた。私は物知らずですが、詩というものがなければ人間は生きていけないことくらい知っていますよ。「ふーんそういう詩人の人がいるのかー」と知ることができただけでも、ありがたいことです。もし私の知らない偉大な老指揮者とかロックンローラーが手術費用を募っていたら、私も1000円でも2000円でも送るからサ、このエントリーを見ちゃったあなたはぜひお志を示してあげてください。
アルフレッド・アルテアーガという人はこういう人。
<略歴>イースト・ロサンジェルスのバリオに生まれたアルフレッド・アルテアーガ(1950- )は、現在のチ カーノ詩のテリトリーの極北を歩む、繊細かつ豪胆な言語の冒険者である。チカーノ誌『ラ・ラサ』 や文芸誌『クォリー・ウェスト』の編集のかたわら、コロンビア大学でチカーノとしてはじめての創 作修士号を、さらにカリフォルニア大学サンタクルーズ校で文学博士の学位を得る。第一詩集『カン トス』(1991)は、すでにアメリカにおけるチカーノ的経験を超える主題によって彩られた叙情性 と戦闘性とをともにそなえた鮮烈な詩集として注目された。さらに『余震の時の愛』(1998)と『 レッド』(2000、"red"は英語で「赤」、スペイン語で「網」を意味する)の二冊の詩集で、現代世 界におけるチカーノ的ローカス(場所性)を多言語的な表現の揺らぎによって捕獲しようとする方法 論をますます研ぎ澄ませ、特異なバイリンガル詩人となった。1997年に刊行した自叙伝的な創作的 エッセイ集『青いベッドのある家』は、チカーノであり、父であり、レースカー・ドライバーであり 、音楽家であり、旅人であり、教師である自らの存在を、暴力・変容・文化紛争・人種主義・人間の 脆弱さといった切り口から苛烈に描き出した傑作として、1998年のPEN文学賞を受賞している。現 在は、カリフォルニア大学バークレー校で「エスニック・スタディーズ」を講じる。ジャン=リュッ ク・ナンシー、ジル・ドゥルーズ、ガヤトリ・スピヴァクら思想家との交流も深い。2004年5月に初 来日して札幌と東京で自詩を朗読し、飾らない人柄と相俟って大いなる感銘を与えた。2006年秋に は新詩集『Frozen Accidennt』が刊行予定。『現代詩手帖』2005年5月号に訳詩選が掲載。
以下は、井村さんの個人ブログで紹介されていた今福龍太さんからのメール。
先週、チカーノ詩人アルフレッド・アルテアーガの三人の娘さんたちから緊急のメールが届きました。心臓疾患で難しい手術が必要なアルフレッドにたいする支援(寄付)を求めるものです。私(今福)が、4月初めにカリフォリニアでアルフレッドに会ったときの印象では、見た目は元気でしたが呼吸は荒くぜんそくも気になり、思った以上に病状は進んでいるようです。昨年も、夏に心臓麻痺の再発で数週間の集中治療室での入院から生還したばかりです。連絡にもある通り、この6月に(アメリカではできない)特別の心臓手術をタイで行うとのことですが、手術費用その他の経費の一助として5万ドルの募金を目標としているようです。
ついては、かけがえなき友人であり、瞠目すべきチカーノ詩人であるアルフレッドの回復を願い、ここに日本での支援の窓口を一本化して広く募金をつのりたく思います。(個人による海外送金は手数料が非常に高くつくのであまり効率的ではありません)
以下にアルテアーガ支援基金を開設しましたので、どうか皆様のご協力をお願いしたく思います。(ペイオフ規定の関係で任意団体名義の口座がつくりにくく、個人名義となっていますが、ご了承ください)
募金振り込み口座:
湘南信用金庫 小和田(こわだ)支店
普通 4110130 今福龍太(イマフク リュウタ)呼びかけ人の代表として今福が責任を持ってとりまとめ、アメリカに送金します。なお、アルテアーガ自身のホームページに家族からの支援呼びかけ文も掲載されています。今後の経過報告もここでなされると思いますので、随時ご参照ください。
http://www.alfredarteaga.com/corazon/coratitle.html
それではどうぞよろしくお願いいたします。また、この呼びかけメールを、できるだけ広く回覧・転送いただければ幸いです。
アルフレッドの手術の成功と早期回復を祈って。
呼びかけ人
今福龍太(代表)
井村俊義
喜納育江
斉藤修三
管啓次郎
林みどり<アルテアーガの近年の傑作「Frozen Accident」の冒頭抜粋>
1 Frozen-like Accident "yet," you say zero
more of ciphers
the font being 2 full
figures mark
how natural sign bleeds
colors tear spread loose
zero by drop 1
"finger was stained"
like virgin image
how rhythm of cold water
becomes areola light
and again
アメリカを動かすヒスパニックの力(井村俊義)
アルテアーガ氏のご家族からのメール(井村さんの個人ブログより)。
※このブログに転載するにあたり、体裁を少し変えてあります。
クラシックファンのみなさんはこれご存知だったんでしょうか。2004年に一巻がでたっきり、途中でおわってしまったかのように見えたさそうあきらさんの「マエストロ」。出版関係の人に聞いても、「作者が飽きたらしい」「二度と描くつもりはないようだ」と身もふたもないみたいな言われ方されて、でも私はその身もふたもなさがけっこう好きだったりしたのですが、なんと双葉社のサイトで続きがPDF配信されているではないか。
『マエストロ』
さそうあきら
不況で日本屈指の交響楽団が解散! 食い詰めた連中が謎のジジイ指揮者、天道のもとに再結集。これは、身も心も音楽に捧げた者たちが、極上の「運命」と「未完成」を奏でる物語。
こちらでどうぞ。
双葉社webマガジン
ニュースソースはしろなすくんでした。パチパチ
ここのところ南米大陸から剛風が吹いているもようです。とりあえず、自分にとりかかれそうなところからとりかかろうと本を何冊か買いました。
■今福龍太「クレオール主義」ちくま学芸文庫
■今福龍太「ここではない場所 イマージュの回廊へ」岩波書店
■ルドルフォ・アナーヤ「 トルトゥーガ」平凡社
■パウロ・コエーリョ「アルケミスト―夢を旅した少年 」角川文庫ソフィア
■港 千尋、 シャルル ヴァネック, 今福 龍太, 旦 敬介, 管 啓次郎「ブラジル宣言」弘文堂
■近藤 篤 「サッカーという名の神様 」生活人新書 日本放送出版協会
■山川静夫「歌右衛門の六十年」岩波新書
あ、最後のは今日読んだ本です。
そして土曜日はこれに行くのです。
ブラジル総合イベント MIX BRASIL
日時:2006年4月22日(土)
会場:CLUB CITTA'川崎
開館:23:00~05:00
入場券:3、500yen[1drink]
《BAND》BRALANCA MAS NAO CAI / VIA BRASIL / BANDA SAMBABWE
《DJ》露骨kit / willie
主催は鶴見のブラジル料理レストラン「セグレード」。ブラジルの大衆音楽がテンコ盛りだそうな。露骨kitさん、willieさんのDJは体験したことがありますが、めっちゃかっこいい!
実は次の日、日曜日に仕事がはいりそうなのですが、でもいいの。寝なきゃいいんだから。あはは。
昨年の「移民の暴動」について、陣野俊史さんの「フランス暴動 移民法とラップ・フランセ」、「現代思想」2月号の特集を読んでみた。「現代思想」はすんごく面白くなかった。執筆者の人たちは、急に書くはめになって、考えがまとまらなかったという風に見えた。
「移民法とラップ・フランセ」は面白かった。筆者の方の立ち位置がはっきりしていて、そこから見えるものにきちんと限定して書かれてある。へんな憶測とかうがった結論めいたこと、安っぽいストーリー作りがぜんぜんないところがいい。これを読んであらためて気づいたんだけど、ニュース報道は、当事者の立場からは書いていないのだ。「移民より」に書いている報道だって、外から見て「妄想」と言ったらいいすぎかもしんないけど、想像で書いている部分が多いような気がする。ニュースだけ読んで、わかったようなこと言うくらいならせめて「わかんない」と言える人間でいたいです。
といって、あんまり記者さんを責める気にはなれない。ひとつのことをきちんと追いかける、という姿勢の取材なんて、たぶん会社的に許されないのじゃないかという気がする。ちゃんと取材しようと思ったら独立するしかないのじゃないかしら。でもそしたら誰がお金を払ってくれるのかしら。そんなことも考え合わせると、陣野さんという方はすごくがんばってらっしゃる方なのだなあ、と思う。
フランスのラップはぜんぜん聞いたことがないので、自分的にじれったいような、ぴんとこないような部分はたくさんあった。サッカーを見たことのない人が、「フーリガンの社会学」を読んでサッカーを理解しようとするのと似てるかも。といいながらでも思うところはあって、すごくシンプルに「そうかラップって言葉(リリック)なのか」ということがわかった(ような気がした)。そこがすごく面白かった。言葉は人間だ。ラップを語ろうとしてボリス・ヴィアンをひきあいにだす人はそれをぜんぜんわかってないという気がした。私も最初はちょっとそう思ったんだけど。
それだからこそ、フランスで「移民」の人たちのおかれている環境にも興味をもつことができたし、日本で「ラップをやる」とはどういうこと? という「まとめ」にも説得力があった。このエントリーにオチはないです。1冊か2冊の本を読んで、自分なりの結論なんてでてこないけれど、ででこなくていいと思っている。
CPEに抗議するデモも起こっている。どうなるのかな。フランスの企業には体力がなくなっているから、ぶっちゃけ有用な人材だけを正登用したいというのは、企業の姿勢としては当然だと思うし、だからといっていきなり「2年間は自由に解雇できる」とか言われたら、言われたほうは怒るでしょう。つまり政府が政策の「さじかげん」を間違えたってことなのかな? と理解してるのですが、どうなんでしょ。
リリー・フランキーの「東京タワー」、送料こちらもちで譲りますが、どなたか読みませんか?
私としては、「男の書き手が本気で大好きなお母さんのことを書こうと思ったら、結婚だの家庭をもつだの、そんな人並みの幸せは得られないと思ったほうがいい」という、作者がそういう腹の括り方をしている、そこがこの本の最も素晴らしいところだと思います。女の書き手が父親のことを書くときもそう。森茉莉とか。もちろん、あとから状況や気が変わってもいいわけなんですけどね。
105万部いってるんですって。いちゃもんつけるにしても、読まなくちゃ、文句のいいようもないじゃない。よろしければどうぞ。
にしてもココログ、重すぎ。
はー。気がすすまないけど、書くか。
文藝春秋4月号の村上春樹氏の文章を読んで、個人的には、気色悪い言い方になってしまいますが「あー完全にヤスハラさんの片思いだったんだなー」という印象を受けてしまいました。お教室で村上氏の小説の悪口を言いだしたら、皆でツッコミをいれたものです。
「まーたまた好きなくせに~」
「好きじゃないっ」
「大好きでしょ~」
「好きじゃないっつーの!」
「カ・タ・オ・モ・イ」
「・・・・・・(怒)」
いや、やっぱりものすごい好きだったように見えたけどなー。「ハードボイルドワンダーランド」くらいまでは。私の知ってる限りでは、「ねじまき鳥クロニクル」(1994年)の批評がものすごかった。この小説に関しては、200枚くらいのものすごいこきおろし批評を書いていた。本気で、「ハルキはこんなことやってちゃだめだ、ハルキはもっといいものが書けるのに!」って、思ってたような気がする。
でもそんなことは大好きな作家の村上氏には伝わらなかった。文字通り、余計なお世話だったのだ。
と、いう風に見えた。憶測。つーかフツー伝わらないっしょ。そんな屈折した愛情表現されても。という風に見えた。これも憶測。作家になれなかったコンプレックスゆえに、自分には理解できない作家を激しく憎悪したというのも、憶測。ぜんぶはずれてるかも。ぜんぶ、当たってるかも。
個人的には、その感情があったとしても、それにのっとられてしまうほどセコイ人じゃなかったと思う(言ってるうちに、言い方はどんどん激烈にエスカレートしていくのだが)。こと小説に関して、私怨があろうとも色眼鏡で見る人ではなかった。売りに出されたフィッツジェラルドの翻訳、というか村上氏の翻訳モノには、安原さん自身もとても愛着を持っていたと思う。あれを内田樹先生の言うように、「こんなものは文学じゃない。これはただの商品だ」と考えたとはちょっと思えない。村上氏の「神の子どもたちはみな踊る」(2000年)はすごく誉めてたし。
「村上春樹を育てた」っておおげさに言いまわってたんですかね・・・ でもそういうもの言いって、村上氏についてだけじゃなかったですね。村上氏の奥さんのことまで悪口を書いてたの? まあ書いたかもしらんな。そういうのも村上氏についてだけじゃなかった。いろんな人にそうやっていちゃもんをつけまくっていた。
なんで原稿を売っちゃったんですかね。死を予感して、蔵書を処分しようとまとめて古書店の人に持っていってもらったものの中にはいっていたのか。私には、しおらしく原稿を返す気にもならず、かといって手許においておくわけにはもちろんいかないので、あとさき考えず、とりあえずそのとき可能な手っ取り早い手段で、手を出している人に渡した、という風に見えた。そうでもしなかったら、安原さんの死後、あのぐちゃぐちゃな部屋で原稿は永遠に発掘されることはなかったであろう。みたいな。憶測ですけどね。全部、憶測。
でもされた作家はそれで納得はできないでしょう。作家のファンの大学の先生も、好意的に解釈しようがないでしょう。たいていの人は、ヤスケンていうのはセコくてみみっちいヤツなんだなと思うでしょう。安心したり喜んだりする人さえいそうである。
いくら憶測しても無意味だ。原稿の流出に関して、村上氏が不愉快な思いをものすごく我慢して自分をおさえてらしたのは事実なんだから。あれを読んで、村上氏は安原さんのことをこんな風に思っていたのか、と思って、私は悲しかった。でもそういう悲しさは、村上氏がずっと我慢して感じていたことなのだ。
それもこれも、全部含めて安原さんなんですよ。としか言いようがない。もういいかげんおとなしく成仏してくださいという感じである。ほんとに。
人に勧められて、リリー・フランキー「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読む。母子家庭だったリリー氏が、お母さんのことを主に書いた半生記。お母さんの話も素晴らしいんだけど、地方と東京、老いていくこと、生きること死ぬこと、夢とか挫折とか、自由と責任とか、そういう多くの人(特に地方から出てきた東京在住の独身の中年・笑)が感じていることを、ちゃんと言葉にしてくれてて、すごく共感する部分がありました。「東京タワー」っていうタイトルも秀逸。
このお母さんが素敵。例えばこういうところ。子どもの頃のリリー氏の箸の使い方がへんなことを、お母さんはとがめない。でも、よそのお宅で食事をご馳走になったら、つけものに一番先に手をつけるのは、他に食べるものがないといってるようだからやめなさい、なんて言う。「自分が恥をかくのはいいが、人に恥をかかせてはいけない」という教えなのです。後になって、リリー氏が、「人の箸の使い方にケチをつけるような人間は、料理にも手をつけずしかも払いは人まかせ」といちゃもんをつけているようなところもおかしい。
年をとって東京のリリー氏と同居しはじめたお母さんは、来る人来る人に「若い人はお腹が空いているから」とご飯をだすのでみんなと友達になっちゃう。いいお母さんだな~ お父さんもすごくて、別居していて要所要所であらわれるらしいんだけど、この人がまた破天荒。ラストはとても悲しいです。作者のむちゃくちゃな20代も別の意味で読み応えがあった。久世さんが映像化したところを見たかったなあー。
リリー氏の家族への愛情というのがあふれてくるような本です。世の中には、家族の愛を信じることができずに大きくなった大人もたくさんいます。虐待とか、そこまではいかなくても機能不全に陥って誰かが(多くは一番弱い子どもが)人柱のように犠牲になっている家庭がたくさんあるのを私は知っています。でもそういうふうにして大人になった人も、「ああこういう家庭もあるのか」「こういうお母さんがいるのか」って、安心できるような、素直にあったかい気持ちになれるような本だと思います。
きのうは久世光彦さんの訃報に少し動揺してしまった。久世さんの訃報は、安原顕さんの亡くなる直前の記憶とつながるのだ。安原さんつながりの年下の友人から、「なんでこんなに泣けるんでしょうね・・・」とメールがあって、また泣けた。
安原さんが亡くなる直前に入院した病院に、久世さんは福寿草を持ってお見舞いに見えたらしい。そのとき安原さんは点滴をごろごろおして、病院を脱走したあとだった。脱走幇助をする羽目になった編集者の方もいらしたようだ。これは安原さんのウェブの「日記」でも紹介されていたエピソード。安原さんの交流関係の広さに驚くが、久世さんの交流の広さにも驚いてしまう。そのときの安原さんの容態は別としても。
1993年の春に出版された久世さんの小説「蝶とヒットラー」が、東急Bunkamuraの「ドゥマゴ文学賞」を受賞したときの、プロデューサーが安原さんだったのだ。選考委員は辻邦生さん。お三方とも、すでに故人となってしまった。
カルチャースクールで安原さんの毒舌を楽しみにしていた私は、安原さんが「久世さんが久世さんが」と、氏と氏の小説の話をするのを数え切れないくらい聞いた。安原さんは久世さんの小説が大好きだったのだ。あんまりしょっちゅう聞いたので、私まで知っている人のように錯覚してしまって、氏の小説のことを話すときには、なれなれしく「クゼサン」と呼んでいた。
私が久世さんの小説を初めて読んだのは、「蝶と・・・」と同じ年の冬に刊行された「一九三四年冬-乱歩」。スランプの末に失踪した江戸川乱歩という題材。失踪先のホテルでいろんなことが起こり、そのうち乱歩は闇の底からわきがってくるかのような、妖しい短編「梔子姫」を書き始める、というあらすじ。文体やひとつひとつのエピソードがきれいで妖しくて黒くて色っぽくて、お話や文章を読む喜びってこういうものかと思った。一方で寺内貫太郎をつくり、映画にトライし、ドリフにも首をつっこみ、また一方でこんな小説を書くなんて、才人とはこういう人のことを言うのだとも思った。
きれいなものや楽しいものを作って、この世に送り出す人たち。そういう人たちの一人が久世さんだった。
テレビドラマの世界は知らないのだが、ニュースで見ている限り、テレビが、お金儲けの道具ではなく、面白い表現の手段かもしれないと思われていた頃の人なのだと感じた。久世さんのドラマにあこがれて、映像と物語の世界を志した制作者の方たちもたくさんいるだろう。私と同年代なのに違いない、その人たちの言葉をこそ、聞いてみたいような気がする。
久世光彦さんが亡くなった。「寺内貫太郎一家」の久世サンを私は知らない。私が知っているのは、「一九三四年冬―乱歩」「蕭々館日録」「謎の母」「聖なる春」の作家である久世サン。人はいつか去っていくものとわかってはいても、まだ早いでしょぉ~ と言わずにいられない。
昼休みにお弁当を買って、会社へもどろうと歩いていたら、横断歩道のまんなかに私の手袋が片方落ちていた。どうしてこんなところに。あ、私が落としたのか。
去年の暮れから借りていた本をやっと読んだ。装丁家吉田篤弘氏の短篇小説と写真家坂本真典氏の写真でつくられた短編集「十字路のあるところ」。この本は、コンサートに行ってわくわくしたり、サッカーを見てドキドキしたり、スケートを見てうっとりしたりしているときに読める本じゃないのだ。遠くに電車の音がかすかに聞こえる静かな部屋で、耳をすますようにして読む本なのだ。
手にとってもらったらわかる。正方形に近い、何版というのかな、手の中に宝物みたいにおさまる大きさの本。書かれているのは街の物語で、ページを開くと、ふだん歩いている街がふっとずれて違う姿をみせるような錯覚が起きる。すごく注意深くしていないと、街は別の姿を見せてはくれないのだ。この本に会えてよかった。とても素敵です。
アタシって別にクラシックファンじゃないしー。と思って遠巻きに眺めていた「ラヴリー作曲家占い」をこっそりやってみた。「○さんはマーラーです!」 ・・・・・・。マーラーサンッテダレデスカ? 「あなたはパンダです!」と言われたほうがまだ説得力がある気がする、私の場合。
例のスクリャービンのチャクラ・コンサートの模様を偶然ニュースで見て、NHK交響楽団は気が狂ったのかと思った。
映画「フライトプラン」が気になっていました。子どもがいなくなったのに、乗客もクルーも、そんな子どもは見ていない、搭乗した記録もないという。母親の妄想なのか? 究極の密室で戦うジョディ・フォスター。繰り返されるCMを見て、それと船とか飛行機とか電車とか、乗り物が舞台になっている映画が好きなこともあって、オチが気になってしょうがなかったのです。
先日、本屋さんに言ったらノベライズ本が売ってるじゃありませんか。ああどうしようかな、映画を見に行こうかな、本を買っちゃおうかな。
私がどうしたかというと。
オチだけ立ち読みしてしまいました。
ああっ、ごめんなさい、ミステリーの神様! ジョディ・フォスターさん、映画関係者出版関係者の皆様、すみませんすみませんもうしません。ほんっと申し訳ござまいません。ばちがあたっても文句は言えないようなことをしてしまいました。
・・・・・・。
ばち・・・ どんなバチ?
ああああっ、ミステリーの最初の1ページを読んだ瞬間、犯人がわかってしまうバチだったらどうしよう!!! わーんほんとにもうしませんよう。深く反省。
お風呂に閉じこもってピーター・ラヴゼイの「地下墓地」を読む。この人のミステリーは、人間を描こうなんてちょっとも思ってないところがいい。流行りの、社会の病理を体現した犯罪者というのが出てこない。むしろ人間の哀しさみたいのに触れそうになるとふわっと絶妙にそれをよけたりする。ダイヤモンド警視は口やかましくて、同僚には煙たがられてるけど、語り口は洒落てて、ユーモアがあって、話自体はけっこう情けなくて、しかもあっちこっちに飛ぶし、終わり方も強引だし、読み終わってもなんにも残らないけど、でもそれがこの作者のダンディズムだと思うのだ。
なにしろ殺人の背景が「フランケンシュタイン」である。20世紀末の、サイコキラーとプロファイリング全盛の時代であったのにもかかわらず。反骨精神とおめでたさは紙一重のような気がしないでもない。前者をもつ者でありたいと願うものの、たぶん私は単におめでたいだけなんだろう。作者がほんとのとこどうなのかは、知らない。
それでも、お風呂でじんわりあったまりながらピーター・ラヴゼイを読みふけるのは、ほんとに楽しい至福のひとときだったりする。すごく気分がよくなった。睡眠時間よりこっちをとった。ちかごろ私に足りなかったのは、馬鹿げた殺人だったのね。
きのうは4時すぎから11時くらいまでだらだら呑んでいて、さすがに疲れた。帰宅して半身浴、起床してまた半身浴をしてもなんかすっきりしない。
昔、ジャン‐フィリップ トゥーサンという人の「浴室」という小説があった。主人公はどういうわけかお風呂場に閉じこもってしまい、食事も眠るのも仕事も全て浴室の中で行うのだ。ひきこもり、なんて言葉もないころ。野崎歓氏の翻訳文がフレッシュで鮮烈だったのをおぼえている。当時28歳の青年だった著者はもう49歳かぁ。
当時は、風呂場に閉じこもるなんてダサいという感覚しかなかったのだけれど、今日ならわかるような気がする。心地よいぬるま湯にひたり、熱い蒸気に肌をさらして汗をだらだら流しながら、電話とパソコンとテーブルスタンドを持ち込んで、仕事もブログ書きも全部お風呂の中でやってしまうの。
他にも持ち込みたいものはたくさんある。テレビとCDプレーヤー、スカパーに接続したDVDデッキ、化粧水にコットン、つめみがきにお菓子、読みかけのマリンスキー劇場、森山大道が写真をつけた寺山修司の小説、クラフトエヴィング商會の本、ファッション雑誌、穴のあいた靴下etc。最後のは、靴下をつくろうのに妙なカタルシスをおぼえる習性があるからである。お風呂に入りながら靴下をつくろいたいのである。つくろった靴下は、外にははいていかないけど。
ああ早くおうちに帰ってお風呂にはいりたい。
『 LE REPERTOIRE DE LA CUISINE フランス料理総覧 』
(辻静雄 監修 三洋出版貿易株式会社刊)
フレンチの修行中の友人某が探索中。絶版だということ。古本好きのアナタ、見かけたらご一報を!
最近読んだ本など。
【オーケストラの職人たち】
岩城宏之・文春文庫。本は読んだが氏の演奏を聞いたことがないというT嬢が、演奏は聞いたが氏がどんな人か知らない私に紹介してくれた。オーケストラ運営の裏方さんたちの話。クラシックを聞かない人でも、音楽ファンの人なら絶対面白い! フツー、指揮者の方がスニーカーをはいて楽器運搬屋さんを体験取材しません(笑) それをやってしまうような方だということなのね。
【報道ステーション】
岩城サンの年越しコンサートの舞台裏ドキュメントを10分間くらい。病を克服したお年寄りががんばって演奏した感動物語という話になっていた。電話をくれたS君に「それはそうかもしれないが、私は演奏が素晴らしかったから胸を打たれたのである」などなど暑苦しく語る。「ベートーヴェンってそんなにいいの?」というS君に「いっぺん5番を生で聞いてみなっ」と吼える。スミマセン。
【指揮のおけいこ】
岩城宏之・文春文庫。この2冊面白すぎる~
【ベートーヴェンと蓄音機】
五味康祐・ランティエ叢書。著者の奥さんはどんな人だったのかしら。手放しで「これ素晴らしいんですよー」とか言ってすすめられると女としてはちょっとなんか言いたくなるっていうか(以下略)
【ベートーヴェンの生涯】
ロマン・ロラン、岩波新書。これを読んで、五味氏の「ベートーヴェンは貧乏人のための音楽である。モーツァルトは金持ちのための音楽である」というところに妙に納得。
【フルトヴェングラーの9番】
【ウッドストックの廉価版DVD】
このところ、この2枚を交互に聞いています。
【ニーベルンゲンの歌】
岩波文庫。まだ上巻読み中。ラッカム版「ニーベルンゲンの指輪」も頼んだところ。
【安土往還記】
辻邦生・新潮文庫。美しいモノ好きの人のための織田信長。
【顔をなくした女】
精神科医大平健氏のエッセイ。オリバー・サックスの「妻を帽子と間違えた男」を思い出した。
【下流社会】
三浦展・光文社新書。人間、本当のことを言われると気分が悪いものです。
【アンボス・ムンドス】
桐野夏生・文藝春秋。三面記事的な話題にヒントを得ている短編集。この人はいくらでも書けるんだなー
【ジオラマ】
桐野夏生・新潮文庫。
【エンド・ゲーム】
恩田睦・集英社。「夜のピクニック」も読んでみようかな。
【コンスタンティン】
キアヌ・リーヴスがマトリックスが完結したときに「もう40歳なんだからもっとマシな役をやりたい」とぼやいていたのをなにかで見かけた記憶があるが、やっぱりこんなことも真面目にやってるのですね。
【蛇にピアス】
金原ひとみ。「アッシュ・ベイビー」も興味あり。
【真昼の花】
角田光代・新潮文庫。タイとおぼしきアジアの国を放浪する若い女性の話。マフィアのでてこないハードボイルド。好き。
【死の谷'95】
青山真二・講談社。よかった・・・ けどユリイカの方がバランスがよかったかな。いやこれはこの壊れっぷりがいいのかも。
【女王様と私】
歌野晶午・角川書店。○オチは絶対許さん! とはいえ作家の人に文句はない。誰だって好きなように書けばいいのだから。でもこれが仰々しく平積みになってる状況ってどうよ、という感じ。
【三島由紀夫が死んだ日】
中条省平・実業之日本社。小島千加子氏と森山大道氏の文章が圧巻。他の人のも面白い。中条省平氏は三島由紀夫が意外とマンガ好きだったというのだった。
【御巣鷹の謎を追う】
米田憲司・宝島社。あかはた社会部の記者さんのドキュメント。著者は航空オタクでもあり、このしつこさは圧倒的。読み終わったあとに、付録のDVDを見る。ボイスレコーダーの音声に、字幕と3Dの再現映像をつけたもの。山腹に激突する直前まで、パイロットたちはいたって冷静。これすごかった・・・
【ポップ1230】
ジム・トンプスン・扶桑社。黒いのが読みたかったのです。
【LOVE】
古川日出男・祥伝社。京浜運河とか中目黒とかよく知るエリアが舞台で胸キュン(笑)でした。ラストはすごい無手勝流。でもそれがいいのよ~
【貴婦人Aの蘇生】
小川洋子・朝日新聞社
【国境なきアーティスト】
エクトル・シエラ、寺子屋新書。著者はパラジャーノフのお弟子さんでコロンビア出身。紛争地域などで、アートで子供達を癒すNGO活動をしている。紛争の国・地域でずっと暮らしてきて、日本に旅行にきてあまりの平和さにほとんど衝撃を受けたらしい。独裁者が民衆を抑圧すればとりあえず民族紛争はおきない。日本の場合は、個人が自分で自分を抑圧している。どちらにせよ、抑圧されることによってしか平和はありえないのか? と。そうでなければこんなに平和で豊かな国で、3万人もの自殺者の説明がつかないと。うーんそうかも・・・
帯とか雑誌のレビューなんかを見る限り、「1リットルの涙」みたいの連想しててなんとなく読まず嫌いだったんですが、ていうか「1リットルの涙」は読んでないわけですが、人に紹介されて読んでみたらすごくいい!
語彙がすごくステキなの。バイクのキャブレーターがこんなにロマンチックなものだったとは。文体は硬質で明晰、クリアできらきらしてる。しいて言えば小川洋子に似てる。
内容は、日常の中でほんの一瞬垣間見えるような形にならないすごく大事なものを、正確に文章にしてみましたって感じで、センチメンタルな題材にも関わらず主人公はクールで誠実。なんかよく説明できないけど。説明しようとするとネタばれになっちゃうし。とにかくよかったということだけ書いておきましょう。
なんとなく、よしもとばなな「キッチン」のあまりに鮮烈なデビューを思い出してしまいました。異論はあるかもしれないけど、私の年齢だとそういう受け取り方をする人もいるように思われます。
今年よかった本は、これと、「ベルカ」かな。
他人様のことだと思って失礼なこといっちゃいますが、この作家はなんか限りなく自己模倣のスパイラルに陥っちゃってる感じがしてあんまり熱心に読んでませんでした。
新作「楽園の眠り」のテーマは「児童虐待」という。いよいよネタにつまったかというか、ネタのひとつとして扱えるようなテーマじゃないんじゃない? みたいな反発とかを反射的に感じたのですが、まあ試しにと思って読んでみると。
おお。「不夜城」の作家は新しい段階にはいったのだ(たぶん)。
虐待してしまう側の救いのない暗黒の側面がすごいよく書いてあります。肯定するわけじゃない、かばうつもりもないけれど、虐待してしまう側には虐待してしまう側の理由があるってことを、表せるとしたらそれは「小説」という表現形式だけなのじゃないかしら。似た視点の阿部和重「グランド・フィナーレ」よりずっと説得力があった。まあロリコンのほうがむずかしいのかもしれないけど。
暗躍するマフィアと同じくらい、普通の主婦や公務員だってハードボイルドな日常を生きているはず。「不夜城」の作家がそれを書いてみようという気持ちになったのかと思うとすごく嬉しい。馳星周の昔のファンの人とか、桐野夏生のファンの人にオススメ。
いろんな新聞を半月分くらいばらばら見てたら、東京新聞でこんなの見つけた。
千野帽子(ちのぼうし)さんの「文藝ガーリッシュ──お嬢さんの本箱」
その名のとおり、本好きなお嬢さん(かなり諧謔的)が読みそうな本を紹介しています。月から金まで、今年いっぱい連載されるのだとか。
だってすごいよ。三島由紀夫没後35周年の今年、何を紹介してるかと思えば「夏子の冒険」「幸福号出帆」「恋の都」「女神」「お嬢さん」ですって! 三島由紀夫が若い女の人向けに書いたレンアイ小説なのです。私は「金閣寺」より「豊穣の海」より、この作家が女の人向けに書いたレンアイ小説が大好きです。「美徳のよろめき」とか(笑) いや笑うとこじゃないのかもしれないけど(笑) でも笑っちゃいますね(笑) ちゃんと調べたわけじゃないんだけど、このへんは文庫じゃ出てないんじゃないかなー 三島由紀夫の文庫自体、最近品薄気味で本屋さんであまり見かけないという噂。
あと松浦理英子の「セバスチャン」が紹介されててなつかしさのあまり卒倒しそうになりました(笑)
千野帽子さんのサイト「文藝檸檬」はこちら。mixiにはいってる人はこちら。あーもう“檸檬”とかやめてーおなかイタイ(笑)
リンクするものがないので奥泉光『モーダルな事象──桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』でも貼っておこう。文藝春秋「本格ミステリ・マスターズ」で「不透明な語りの自由──文學少女のための奥泉光再入門」を発表されたのはこの方です。
今日は神保町の古本まつりに行ってきました。1時到着、軽く流しまして某書店でT君にばったり出会い、S君と落合う。神田の古地図とか江戸の研究書が充実してるところを発見したので、某時代小説家氏を呼び出す。またばらけてうろうろしてるうち、お腹がすいてみんなと落合ってお茶するまで持たない! と出店でタイ風焼きそばを買い道端で食べていると、隣でS君のガールフレンドT嬢がカレーを食べていたので驚く。そうこうしているうちに日本一のマンガ売りN君あらわれる。来たばかりだというN君が散策にでかけ、残りのメンバーは喫茶店でお茶をする。携帯が通じないので神保町駅に小説家氏を迎えに行ったら方向がわからなくなりT君に迎えに来てもらう。喫茶店で一瞬落ち着くも、またもや作家氏とうろうろする。S君とそのガールフレンドは渋谷にライブだそうで別れる。残りのメンツで有楽町に写真展を見に行く。井伏鱒二のポートレートがすごくよかった。埴谷雄高はいがいと影が薄い感じがした。有楽町のガード下で飲み始める。ガイジンがいっぱい写真をとっていった。旅の思い出ができてよかったねええ。すんごいいろいろしゃべった。結論から言うと、すんごく楽しかったのです! 酔っ払いで自動書記状態です。
あ、買ったものくらい書いておこう。
ロバート・カミング「名画の謎」 ゆまに書房
五味康祐「ベートーヴェンと蓄音機」 角川春樹事務所
中村歌右衛門・山川静夫「歌右衛門の六十年」 岩波新書
エド・マクベイン「晩課(87分署シリーズ)」 ハヤカワ・ミステリ
エド・マクベイン「稲妻(87分署シリーズ)」 ハヤカワ・ミステリ
今日行った写真展はこちら。橋本照嵩 の「北上川」。リンク先で写真も何点か見れます。素晴らしい音楽も小説も映画も、こういうところに根をはっていればこそ、と思い出させてくれます。編集者の三浦衛さんの文章が素晴らしい。
橋本照嵩を推す(抜粋です)
半世紀、歓喜と共に無我夢中で橋本がフィルムに収めたものの一部を思いつくまま列記すれば、いかにも美味そうにキセルで煙草を吸う祖父、酒好きの父、祈るような破顔一笑の母、姉のように優しい叔母、結婚披露宴で妖しげな手つきで泥鰌掬いを踊る隣りの床屋、橋を渡るさまざまな物売りたち、海苔を干す夏木マリそっくりの老婆、札束の勘定に余念がない博労たちの欲望うずまく馬市、売られていくことを知っているかのように悲しい表情を浮かべるシャガールの馬、花火、由利徹、天津敏、シジミ漁、出漁する船、ときどき登場しては見るものをドキリとさせる子供たちの目、川を遡上する鮭、産卵を終えた母鮭がカラスやトンビに目玉を食われる…。ちょろちょろ湧きだす源泉がやがて海へ注がれるように、明滅する光のごときどれもこれもが大河・北上川へと収斂し飲み込まれていく。やがて写真家として歩き始めるだろう橋本の郷土を映し出した一コマ一コマの写真を現在の時間のうちに眺めながら、むしろ〈写真の時間〉に引き込まれていく自分に気づかされる。深層の魂が流露する表現者の排水溝を人知れず磨いてきた写真家の切なる思いが写真一枚一枚に込められている。
虚実ない交ぜの生活と幻想のすべて、息遣いを魂の写真家はギョロ目を開けて写し撮る。人間はどこから来てどこへ向かうのか。これは、いわば写真家橋本の人生探索の記録であり、〈四次元銀河リヤカーの旅〉なのだ。[-三浦-]
ねね、見たくなったでしょう。銀座のギャラリー悠玄で明日まで。
70年代後半に大ヒットした不朽のバレエまんが、「SWAN」の次世代編。千秋とのだめの娘がピアニストめざしてコンセルヴァトワールに入学したと思ってください。レオン(ここは千秋と変換)がすごいおじさんになっていて娘にお説教しているので笑った。というか驚いた。作者は、ここまで、バレエのこと描きたかったんですね!?
平凡社「SWAN MAGAZINE 2005 秋号」は、有吉京子氏の熱いバレエへの熱狂ぶりがかたちになったもので、100ページ弱の薄手の本の1/3がコミック、あとはいろんなバレエ愛好家・関係者のインタビューやレビュー、昔のまんがの名場面なんかが楽しめます。オタク座談会も面白かったけど、獄本野ばら氏のエッセイが私の感じに似てたのでご紹介。
ストーリーとして(中略)あれよあれよと都合のよい出遭いに遭遇、己のポテンシャルを開花させていくという少女漫画の王道を踏まえてはいるものの、作者の気持ちはそんなところにあらず、只々、バレエに就いて描きたいのだ! という熱気というよりも殺気が伝わってくるのです。
殺気。
これを殺気と言わずしてなんと呼ぶ。だってさ、コミックの冒頭なんかすごいですよ。最初の1ページ半で語る語る。17世紀のクラシックバレエ発祥から5つのポジションの確立を経て、現在のオペラ座バレエ学校のオーディションまで一息なんだから。面白いことたくさんかいてあって、今も昔も大ファンです。
次号は12月上旬発売ということ。きっと買っちゃいます。平凡社の策略に完全にのせられてしまいました(苦笑)
日本代表のラトヴィア戦。親善試合って見てても力がはいらないものだなー とはいえ、面白かったところもいくつか。ペナルティエリアにドリブルで切り込んで、ファウルをもらうっていうのは、そのう、やはり相当むずかしいのですよね? どんなおけいこしたらいいのでしょう。
読んだ本。
■ポール・アルテ「カーテンの陰の死」 ハヤカワミステリ文庫
いま一番面白いミステリ作家。ぐじゃぐじゃした心理描写にあきあきしてる人におすすめ。個人的には、一作目の「第四の扉」、三作目の「赤い霧」のほうが面白かったかな・・・ アルテを読んだら、正統派謎解きミステリーに回帰したくなり、ディクスン・カーにとりかかり中。
■渡辺 保「勧進帳-日本人論の原像」
よく考えれば当たり前なんだけど。舞台って、初演時からどんどん変わっていくものなのですね。お客さんがこの演目の何を喜んだかって、時代によって変わっていくのだ。そこが、美術や小説とぜんぜん違うところだ。目からうろこ。
■ロアルド・ダール「ガラスの大エレベーター」 1973年。文句なく面白い。
■C.Sルイス「魔術師のおい」「最後の戦い」 1950年代。ナルニア国シリーズの最後の2冊。
■エリーナ・ポーター「少女ポリアンナ」 1913年。
昔の外国の児童文学って、けっこう残虐。ナルニア国シリーズは、たんすの奥の未知の国で子ども達が数々の冒険をくりひろげるって話なんだけど、「子ども達は現実の世界で大人になったけれど、けしてナルニアのことを忘れませんでした」的には終わらないのです。どっちかというと、ドラえもんは植物人間になったのび太の夢だった的な終わり方。ポリアンナも、最後におもいもかけぬ不幸に見舞われる。キリスト教の教えにのっとってるわけなんだけど、厳しいのですこれが。
これはあとで感想書きまーす。なにかのっていらっしゃるようでますます楽しみ。
ネット記事の見出しを配信して広告収入を得るのは違法だそうだ。妥当でしょうと思ふ。
にしても、ネットでの著作権の保護はむずかしい。ブログ上で本やCD、DVDを紹介するとき、表紙やCDジャケットの著作権をクリアするには、アフィリエイトサイトにリンクするのがいいと言われている。んでも、アクセス数の少ない個人サイトを運営していると、それで本当にクリエイターに敬意を払うことになるのか、はなはだ釈然としない。小売店の売上に協力してるだけじゃん(協力に全くなってないけど)。話としては理解してるし実際にアフィリエイトに参加もしてるけど、これぞ正論みたいにいわれるとなんだかなーと思う。たぶん私は、基本的に、ネットの力を理解・信じていないのでしょうね。
ロアルド・ダールの「マチルダは小さな大天才」を読む。めっちゃくちゃ面白い! 4歳にしてディケンズを読破するマチルダが悪い大人たちをやっつけるのだ。子どもたちの反逆ぶりが笑える。
それとは別に、この年になって読むと、大人のダメさ、哀しさ、頼もしさっていうのも印象深い。
5歳の子どものおさげ髪をつかんでハンマー投げみたいに畑にぶん投げちゃう校長先生とか、車軸にドリルをとりつけて走行距離を逆もどしにしちゃう中古車販売業のお父さんとか、 ビンゴとテレビドラマにしか興味のないお母さんとか、ほら、あなたのまわりにもいそうでしょっ。そして素敵な大人はどっかもの哀しさをしょってたりするの。60歳すぎて読んだらまた違うように思うかも。
ちなみにこれはbk1にリンクしています。だってamazonでこの本まだ売ってないのだもん。著作権の保護に選択肢を!
それなら原作を読めよという感じですが。柳瀬尚紀センセイの新版について、amazonの読者レビューが映画公開以降すごいことになってるのと、田村隆一さんの旧版を読み返す機会があったので、気がついたことを書いてみます。原文は読んでません。原文のテイストを云々できる英語力がないので、かっこつけるのはやめときます(苦笑)
うーん、これやっぱり、考え方の違いというか思い入れの違いということで、どっちがいいというものでもないのでは。
田村隆一さんは、谷川俊太郎さん、吉増剛造さんと並ぶ日本を代表する詩人(1998年に死去)。どの詩集だったか忘れたけど、「その秋 母は美しく発狂した」っていう一文が強烈に忘れられない。美しくて残酷なのです。言葉が。
田村版「チョコレート工場」(絶版の旧版)では、地の文が「ですます」調で、格調高いです。気品さえあって、小さな子どもが接する日本語ということでは、こっちのほうが栄養あるような感じがします。やっぱりきれいな日本語って気持ちいいものだし。ただ反面、小人たちの歌の訳なんかは、妙にお説教くさい感じがしちゃったりするんです。例えば、テレビっ子の子どもをからかう歌なんかは、もろ「テレビを消して読書をしよう!」みたいな感じで、あんたに言われなくても読みたきゃ読むよと口応えしたくなる感満載(←私がひねくれているだけ・苦笑)
柳瀬尚紀さんは、ジェイムズ・ジョイスとかの難解な本の翻訳に果敢に挑戦する英米文学者。他の翻訳者の方をこきおろすことでも有名らしいんだけど、基本的にはいい人じゃないのかなー だって、英語読めない人のためにジョイスとか訳そうとしてるんでしょ? 英語くらいできないバカは相手にしない、ってスタンスでもいいわけじゃない。でも私は「フィネガンズ・ウェイク」は2ページくらいで挫折しました。これじゃ話になりませんね(苦笑)
柳瀬版「チョコレート工場」(2005年4月発行の新版)は、「なのだ、だった」調。一番いいのは小人の歌の訳。リズミカルで歯切れよくって、口ずさみたくなる。韻をふむためにかなりアレンジしてるような気がする。ガラスのエレベーターがぶっとんでいくところとか、ラストとかはこっちのほうがスピード感がある。会話は、児童書というにはなかなかお下品(苦笑)。いまどき「あたい」とかいう女の子いるんですかね。でもそれも含めて、悪い子の悪い子ぶりが笑えるのね。想像力のかけらもない悪い子、というよりつまらない子どもが、ひどい目にあうところをイヒイヒって楽しめるのはこっち。
映画を見て読んでみようかな、という人にはオススメ。無理をして旧版を手に入れようとすることもないんじゃないでしょうか。映画とはすごく違うところがあるので、映画のことはいっぺん忘れて、読んでみるのがいいかも。
ただ、このかっとんだ柳瀬訳だって、田村訳があってこそ生まれてきたっていう部分は絶対あるんじゃないかなと思うんです。両方の感想書こうとすると、どうしたって田村版を先に書いちゃいますよ。それ考えると、柳瀬センセイの後書きは、「しょうのない人だなー」感ありあり。困ったお人です。
ちなみに「復刊.ドットコム」では田村版復刊希望の投票が、今日現在で92票まで伸びています。復刊を希望する方はぜひ。
追記)
「チャーリーのほほんブログ」さんによると、現時点で評論社は旧版復刊の意向はない模様。確かに、一部、現在では使われていない差別用語があったりして、児童書としては完全復刻はむずかしいかな、という感じもしたのだけど。うまくいかないものですね・・・
孤島でクラスメートがひとりひとり殺されていくという、現代版「そして誰もいなくなった」なんですって。すごいなー13歳かー。でも読んでないからなんともいえない。なんか「このミス」関係ってもひとつ信用できないのですよ。好みの問題なんだろうとは思うんですけどね・・・
本当に才能のある女の子だとしたら、まわりの大人たちは大切に大切にしてあげて欲しい。すっごいオカタイおばさんチックなもの言いになっちゃうけど、煽って書かせる、ということではなく、13歳のときにしか体験できない事柄とか思いとかを大切にしてあげて欲しいと思うのです。村上龍が「13歳のハローワーク」で言ってたけど、小説家って「人として最後の職業」とかいう説もあるくらいで。50歳になってから書いても遅くないよー
ってほんと、老婆心全開ですね。もうほんと余計なお世話っていうか。
ちょっとフクザツな気持ちですけど、面白い小説を読ませてもらえるのを楽しみにしてます! 書き手が何歳であれ、読んで面白ければ他のことはみんなふっとんじゃうものなのだ。こんど読んでみよう。がんばれー
追記)
しかも文藝賞は15歳の人が受賞してたりするのだった。
デザインを秋らしく変えてみました。しかしこの色使い、色覚異常の人には一部ちょっと見づらいのじゃないかという気がする。視覚って本当に主観的なものだなと思う。私が見ているのと同じものを、あなたが見ているとは限らない。
「ベルカ、吼えないのか?」が面白かったのでフルカワヒデオに凝っている。音楽、舞踊、物語を語ること、話者、迷宮などといういくつかのテーマは繰り返しあらわれるのだけれど、どのお話も自己摸倣に全く陥ってないところがすごい。この人ほんとにネタに困るってことがないみたい。「サウンドトラック」はサバイバルする子どもたちの話で、熱帯と化した東京が洒落にならないほどリアル。「gift」はバリー・ユアグローみたいなシュールな短編集なんだけど、絶妙のさじ加減でユアグローよりセンチメンタルなところがいい。かと思えば、「ボディ&ソウル」ではおセンチ全開だったり。っていうふうに。
そして「アラビアの夜の種族」。長かったー。ナポレオンの侵略がせまるカイロで、救世の物語が語られる。本好きのナポレオンに豪華本を献上して帰ってもらおうという魂胆なのだけど、そんな動機はどっかいっちゃってみんながお話の世界にはまっていってしまう。この夜の語り部に語られる話っていうのがまた壮大なファンタジーですごい面白い。なにしろ(豪華なカリグラフィーや装丁も含まれるとはいえ)ナポレオンが侵略を忘れるくらい面白くなくちゃいけないんだから。"物語"の持つパワーってそういうものなのだ。そしてさらにこの小説は、この夜の語り部のことを語った伝説本の英訳をフルカワヒデオが手に入れたってとこから始まるのです。なんという念のいれようなんでしょう。これが"お話"ってものだよね って、すごい嬉しくなってしまった。
最後の作家自身の言葉として書かれている部分でこんなところがあった。
もう西暦二00一年十月だ。すっかり二十一世紀にもなじんでしまった。あの01/09/11をのぞけば。それは同時多発テロと名づけられたのか? だれかが十字軍の譬喩をだした途端にテレビを消した。新聞の配達を止めてもらって、さっきまで、物語のなかではカイロにいた。あちら側の暦に。こちら側の暦の、いつもの仕事場ではない。
9.11はいろんな人の上に起こったのだとあらためて実感。ただいま「沈黙」を読んでます。
安野モヨコの吉原花魁まんが。個人的には、大ヒット中の「働きマン」よりこっちのほうがフィットしてしまいました。
ありもしねえ中身をあるようなふりするなんて みじめたらしくて わっちゃあ 好かねえよ
どうせなら 中身があるのにないふりをするほうが粋というもの
くう~っ かっこいい!
「さくらん」は2部を連載中ということ。片方で江戸の花魁を描いて、片方で現代の編集者女子の男前ぶりを描く安野モヨコさん、働きマンすぎです(笑)
さくらん
講談社
2003/11
価格: ¥900 (税込)
帯に「イブニングで第2部連載中」って書いてあるんだけど、講談社のホームページにイブニングって雑誌ないですよ?
働きマン(2)
講談社
2005/07
価格: ¥540 (税込)
こちらは週刊モーニングで不定期連載。イブニングで花魁、モーニングで働きマンって、しかもこうして表紙を並べてみるとわかりやすすぎ(笑)
アル中ブンガク第2弾(苦笑) ラッパーECD氏の書き下ろし。これ、音楽に携わっている人(クラシックじゃなくてラップとかクラブとかDJとかのほう)だったら、ある部分身につまされるものがあったりするのかな? 私の感想は。
根本的なところで、この人は、明るい。
って、そう思った。あずまひでおセンセイが失踪したり酒にはまったりするのは、仕事が忙しすぎて追いつめられたからということ。ECD氏は違う。レコード会社と契約し、バイトしなくてもよくなったECDは言う。酒も、レコードや本、洋服を買うのも、時間をやりすごすためだったと。
一生遊んで暮らせる人生。誰でも一度は夢見ることだろう。この三年間の自分はそれに近かった。その結果がアル中である。
なんとバカ正直な人なのでしょ。
入院直前の描写はすごい。猫の出産なんて、こんな事態に遭遇したら気がふれるかもって思わせる。そして音楽の人だから、アルコール中毒の症状(幻聴)なんかも音楽でおこる。最悪のところがすぎたら、いきなり創作意欲がもりもりわいちゃって規則正しく音楽制作してみたり。人間て因果なものだなと胸をうたれる。でもホームレスになんかならない。退院したら、なぜか、カノジョのお母さんの飼ってる犬の散歩をしたりしてる。こんな展開、頭で考えて思いつくものじゃないですよ。
ならばクリエイターとしてはどうか。あずまひでおはそれでもマンガへの情熱をとりもどそうとした。ECDは、下北沢あたりでへんな若いモンに「がんばってください!」なんて握手を求められ、「こんな奴らのために音楽やってたのか・・・ あーもうやめやめ。こんな奴ら早く縁を切りたい」なんて感じで音楽はやめちゃうのです。
そしてフツーに、仕事を探し、飼ってる猫のために「家賃は払い続けないとなー」なんて言うのだ。へんな自己憐憫なんてぜんぜんない。「失踪日記」とはまた違った意味で、とても面白かったです。ほんと人間て千差万別です。もう音楽はやらないのかな? ライブで、「このお客さんのためにやろう・・・」っていうあたりなんかとてもよかったのだけれど。
(追記)
ECDさんは音楽はやめてないそうです。それどころかいっそはちゃめちゃになって楽しいそうです。やめるわけないと思った(笑)
またまたいまさらなんですけど、島本理生さんの「ナラタージュ」を読んでみた。これも超ベストセラーですよね。
妄想小説じゃない、すごくちゃんとした恋愛小説。もう私はずーっと「そんなオトコやめなよー(ていうかそんなセンセイいないよ)」ってぶちぶち考えながら読んでたんだけど、最後にはレンアイってそういうものだよね・・・ と思わされちゃいました。このジャンルにおいては、いつだってジュリエットのほうが情熱的なのだ。そういうものなのだ。って部分も含めて。
他人のレンアイって、当たり前だけど当事者以外はついていけないものがあったりするわけで、だからこそ「バカップル」なんていうおどけた言葉も存在したりするのだけど、この小説はほんと正攻法。それがすごく新鮮。主人公が、整理されない気持ちをかかえながら、出会う人、見るもの聞くものをすごく敏感に受け入れているのがとっても丁寧に描かれていて切ない。
あんまり物事をひねくれて考えるのやめようと思いました。いやほんとに。
ナラタージュ
島本理生
角川書店
1400円(税別)
2005年2月(もう7版いってる)
ある軍用犬の系譜と平行して20世紀の戦争の歴史が語られる。この距離のとりかたが。すごい巧いのー。戦争の歴史はイヌの視点で語られるんだけど、もちろんへんな擬人化をしてるわけじゃない。あくまでクールに、突き放しているのだけど、ときどきふと話者に「おれ」という不思議な語り手の姿が露呈されて、それは強いていえば自分の中のフィクションの世界を客観的に眺めてしまった作者の狂気の姿なのであって、その不思議な「おれ」という話者は哀しく激しくこのイヌたちを愛しているのだった。
文章がいいのです。このリズム。このルビ。ルビがいいと思ったの久しぶり。っていうか森茉莉以来はじめて。そして1頭1頭のイヌやイヌに関わる人間がみんなめちゃくちゃかっこいいのです。もうあっという展開。ネタバレにならないように注意注意。
ぜんぜんトーンは違うんだけど、ジュリアン・バーンズの「10と1/2章で書かれた世界の歴史」とかエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」とかを思い出してしまった。前者は聖書の物語をすごくクールに笑い飛ばしちゃったお話で、後者はユーゴスラヴィア史が題材で、死んでしまったチトーを信じて祖国のために武器を作り続ける男と、彼を騙し続ける親友の話。この映画は音楽もすごい好きで4回見た。史実が題材のフィクションを体験するとき、視点はどこなのかっていうの大問題ですよ。一方的にあつく語られても困っちゃうわけです。それがなにしろイヌだから。もの言わぬイヌだから。でも「俺」だから。シビレたー。
1点だけ、これはちょっとやりすぎでちょっと照れるっていうところがあった。でも史実についていくのにけっこう難儀したレベル低い読者なので、相殺にしたげます。★★★★★
ベルカ、吼えないのか?
著者:古川 日出男
1800円(税込)
文藝春秋/2005年4月
古い知り合いに「お前たくましくなったなあ」と言われてちょっと、いやかなりうれしかった。「いやほんと、よく生き延びたなーって感じなんだよね」と言ったら「ほんとになー、よく生き延びたよなー」と返してくれた。
今思い出してもあれがなんだったのかよくわからない。強いて言えば統合失調症の人の幻覚の症状に似てたような気がするけど、統合失調症なら自然と直るってことはないらしいのでよくわからない。しょうがないのでものを考えなくてもいいバイトをかけもちして、家賃光熱費くらいはどうにかしたものの、判断能力が著しく低下しているのでひっきりなしに問題続出。疲れ果てました。果てしなく続くかと思われた暗黒の日々。
なんだったのでしょ?? 時間はかかったけど、自然と直った・・・ 精神的な面とか脳のなんとか物質の分泌が多すぎるとか少なすぎるとか、いろんなことが過剰で収集つかなくなってたって感じなのかなあ。若いって過剰なことなのね。
今はフツーである。
フツーの人ってこんなにフツーでいいのか!!(実感)
今日は観劇、明日はサッカー、夏は海に行って冬はオペラ、年下や同世代や年上のお友達とご飯食べたり酔っ払ったり、まあ仕事もしたり。最近は、帰宅してメイクおとして顔のマッサージする時間が至福のひとときだったりする。けっこう枯れてきた(苦笑)
ということで、息をして生きてさえいればそのうちいいことあるとかなんとか至極無責任な結論にたどりついた気がする今日このごろ。「腐れ縁」といいつつ、縁の続いている何人かの友人たちに心から感謝します。驚くべきことなのだが、あの支離滅裂だった日々が、ちょっとなつかしい。
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吾妻 ひでおの「失踪日記」を読んだら自分のことにもいきなり客観的になってしまったので書いてみました。よくあんなの描けるなー。すごい。
遅まきながら読んでみました。
■角田光代「空中庭園」文春文庫
これ面白かった! 「秘密はなしね」と言い合うステキな家族のそれぞれが、とんでもない秘密を持っている、という話なんだけど、その秘密っていうのがいかにも「ありそう~」って思わせる。
中でも強烈だったのは、一家の主婦とその母親の関係。主婦(娘)の側からだけではなく、母の側からもそれなりに説得力のある形で書いているところがすごい。母子密着と分離というテーマは日本では本当に蔓延している問題のような気がするけど、その中でも母と娘の関係を女性の作家がここまで突き放して書いたのってあんまりないのじゃないかしら。読んでいる間にどんどん印象が変わった。岡崎京子→富岡多恵子→パトリシア・ハイスミス→ちょっと村上龍もはいって→最後のほうではこれじゃ桐野夏生だよっ て。どんな本でしょ。
こっちは映画「空中庭園」のサイト。
■角田光代「対岸の彼女」文藝春秋
直木賞を受賞したベストセラー。図書館で予約したら270人待ちだった。文庫で読んだ「空中庭園」が面白かったのでシビレをきらして購入。この本のテーマは「依存」との戦いなのだな。誰かに依存したくなる、依存しちゃいたくなる、共に依存しちゃったら楽しい、でもそんなのはまやかしだ、依存し始めたら関係は壊れる、だからふみとどまる、本当に大切な関係なら依存しようとは思わないだろう、だから依存しない、よりかかりたくなるけど、もたれてしまいたくなるけど、絶対するもんか、っていう。ただ、働く女と家庭の主婦の対比っていう設定自体は私はあんまりぴんとこなかった。たまたま、ふたりがそういう立場だったっていう風に私には見えた。立場なんてどんどん変わるし。
角田光代って、語り口や設定こそ身近な日常を描いた軽い読み物風だけれど、すごくハードボイルドな作家だ。「空中庭園」のあとがきで、石田衣良が「テイストは違うけどパトリシア・ハイスミスみたい」と書いていて、ちょっとうれしかったのです。
ちょっと日がたってしまったのですが。
◆訃報:小倉昌男さん80歳=ヤマト運輸元社長
2005年6月30日
宅配便の産みの親である人。宅配ビジネスについて私が何か言うようなこともないけど、ヤマト福祉財団の活動は興味深かった。
障害者が共同作業所で作った手作りグッズは、魅力がないから誰も買わない。だから障害者は毎日働いても月給1万円しかもらえない。失礼な話である。ちゃんとビジネスとして成立する、障害のある人の働く場所を作ったのがこの人。その経緯は、日経BP社刊「福祉を変える経営」、小学館「小倉昌男の福祉革命」 に詳しい。長い間おつかれさまでした、とお伝えしたいけれど、福祉の分野は、小倉氏のような感覚の人を本当に必要としているのではないかと考えると、とても残念。
「福祉を変える経営~障害者の月給1万円からの脱出」
小倉 昌男 (著)
¥1,365 (税込)
日経BP社
2003年10月
松本賢吾さんの竜四郎疾風剣シリーズの第4弾。私これ一番好きです。
時は安永4年(1775年)、世は賄賂と金権政治の田沼意次の時代。意次を恨む一派の陰謀に浪人竜四郎や狂之介、おなじみの登場人物たちがまきこまれていく。歴史の授業では田沼意次は悪人なんだけど、竜四郎は意次のぶっちゃけぶりが妙に虫が好くらしい。
この人たち、お家再興とか出世とか暗殺とかどーーーーーーうでもいいのね。といって、オノレの信念に従うとかいう臭さもなくて、ただ「虫が好く」かどうかで行動しちゃうのです。懸賞金のかかっている竜四郎の首を狙う狂之介も、いざとなるとなんとなく竜四郎を助けちゃったり、陰謀につきあわされそうになった大泥棒一家も、おとなしく他人(ひと)の言うことなんか聞きやしない。そういうのってかっこいい。ポップってそういうことだと思う。
僭越だけど、この作家さんはなんかちょっと変わった気がする。私は女なので、男性の作家の作品に出てくる「理想の女性像」にどうしても違和感を感じる部分があるのだけれど、これはすごくいい距離感があってわかるなあって思ってしまいました。
「竜四郎疾風剣 群雲を斬る」
著者:松本賢吾
\580/双葉社/2005.6
6月10日に亡くなったのだそうだ。69歳とのこと。若い。まだ10年くらい書けただろうに。
「大人のための残酷童話」「聖少女」が好きだった。私は10代で、ぜんぜんわけなんてわかってなかったのだけれど、ウソのお話の世界、言葉で積み上げられた世界が力を持ってせまってくるのを、この人の本で初めて体験したような気がする。ずっと忘れていたけど、富岡多恵子より金井美恵子より小川洋子より、私はこの人のを先に読んだのだ。ご冥福をお祈りいたします。
60代の人の訃報を聞くのは、なんともいえない感じがある。親の世代の方たちだ。まだまだ、仕事でも遊びでもできた年だろうにと思ってしまうのだ。亡き安原 顯さんが、「時間なんてあるようでないものなんだぜ」とおっしゃっていたのを思い出した。60代の作家の方は気をつけてください。
蒸しましたね。朝からすごいウツな気分になって、なんでだ? と思ってたら、朝イチでどういう曲かも知らないままマンフレッド交響曲をかけたからだった。武田泰淳のエッセイで、クラシックファンの学者先生のうちに夫婦で遊びに行って、オペラかなんか拝聴してたら、百合子夫人が泥酔して貴重なレコードを破壊しそうになったとかいうのを思い出しました。私はなぜ、そのエピソードを思いついたのかしら?
■「悪魔のパス、天使のゴール」村上 龍
そういえばサッカー・ミステリーって読んだことないなと思って手にとってみたのだが、作者の中田ヒデと中田を通して知ったセリエAへの熱烈なラブレターみたいな感じでほとんど赤面してしまった。でもそういうのは好きだ。誰かや何かを支持するつもりになったら、どんなことがあっても手放しで支持する、というようなのが。批判しないという意味ではないし、権力闘争の中で誰を支持するとかいう話とはもちろん違うのだけど。実際の観戦体験をもとにしているらしい、ユベントス戦やフィオレンティーナ戦は、作者の興奮が伝わってきて面白かった。
■「フィジカル・インテンシティ」の2冊。村上 龍
中田がセリエAにいった頃のと、2002年のWC杯のレポート。この人のサッカー・エッセイは私は好きだ。アルゼンチンには中田の元チームメイトが2人もいるから、アルゼンチンを応援しよう、とか、日本代表が敗退していかにがっかりしたか、とか、もう子供みたいに手に汗握ってわくわくしてる感じが好き。
■「中田語録」文藝春秋編
なぜかいまさらなんですけど、図書館で見かけたので読んでみた。これ7年前の本なんですね。中田は20歳すぎ。7年て長いですね。なぜ私はいまさらサッカーなんか見てるのかなとふとふりかえってみたりする。うーん、へんな話だが、長い間、音楽聞くとかスポーツ見るとかいう余裕がなかった。ような気がする。外に目が向かなかったというか。今は外に目が向いてるのかな。
渋谷に行くとたいていよっていたカフェがなくなっていた。ちょっとショック。
かの「蹴りたい背中」だって、私はケータイやパソコンの画面で読もうとは思わなかったですよ、でもこれがケータイに配信されてたんですか? ああ、読んでみたかった。通勤電車の中で、ケータイの画面でこの掌編集を。
どれも1ページか見開き2ページのショート・ストーリーなんだけど、これが奇想天外でユーモラスで哀しくて素敵なの。例えば、ケータイを飲み込んでしまった男が、ひっきりなしに聞こえる着信音のためにクビになっちゃうんだけど、上司の言い草がいい! 「ハーモニカを飲み込んだっていうのならまだわかるんだけど!」って。情けなくてちょっとホラーなかっとんだアイディアが、柴田元幸さんの翻訳の文体もあいまってうっとりするほどエレガンに。
バリー・ユアグローは2002年に初来日した折り、日本の少年少女たちが人生の一大事が映し出されるかのようにケータイに見入るその姿を見て、「あの画面に小説を配信できたら」と思ったんだそうだ。まずそこにはっとさせられた。外から見たらそう見えるのね。オススメです!
ケータイ・ストーリーズ
バリー・ユアグロー (著), 柴田 元幸 (翻訳)
価格: ¥1,470 (税込)
出版社: 新潮社 (2005/04/27)
新潮ケータイ文庫
ユアグローの短篇が配信されていたのは2004年1月~7月ということ。
松本賢吾さんの時代劇小説が、いきなり新シリーズになっていたので軽く動揺する。こっちは、ほんとの剣豪小説。忘八なる職業が印象的。辞書でひくと、
ぼうはち 【亡八/忘八】 〔仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳を失った者、また、それらを忘れさせるほどおもしろい所の意〕 (1)遊里で遊ぶこと。また、その人。 (2)遊女屋。置屋。また、その主人。
とあるんだけど、ここでは吉原を守るために陰で暗躍している高等な用心棒みたいな感じで、しかも、由緒ある忍びの軍団なのだ。そりゃ裏も表も知り尽くしていて、かっこいいざます。吉原の風俗はどこから読んでも面白い。
十兵衛を斬る ―羽生新八郎怨念剣
学研M文庫
松本 賢吾 (著)
価格: ¥620 (税込)
出版社: 学研 (2005/05)
ところで、「一度抱いた女は二度とは抱かぬ」なんぞとかっこつけるものの「でも○○ちゃんいいコだったしなー 今回ばっかりは誓いをやぶってもいいかなー」なんてゆれうごいてばかりの浪人梢竜四郎のシリーズはもうやらないのですか? けっこう好きなんだけど・・・
邪悪を斬る―竜四郎疾風剣
双葉文庫
松本 賢吾 (著)
価格: ¥580 (税込)
出版社: 双葉社 (2004/11)
ハイスミスを「パラノイアの詩人」と最初に呼んだのは誰だったのだろう。没後10年を記念した単行本未収録短編集「回転する世界の静止点」を読んだ。この人ほんと変わってます。21世紀に読んだって十分へんなのに、ここに収録されてるのは1938-1949年に書かれたものなのです。これを残してくれた当時の担当編集者さんエライ! ・・・その人も変わってたのかな。
とにかく出てくる人が全員、不安神経症。ちょっとしたことで、ブワァーーーーーっと不安になって、やることなすことどんどんへんなことになっていくのです。例えば被害妄想の人を犯罪者にしたてるのは、フィクションの世界ではたぶんものすごく簡単なんじゃないかという気がするのだけど、そのテの陳腐さはみじんもない。じゃあ人間くさいとかいうと、そういうまとまりのよさっていうのもぜんぜんなくて、大味な滑稽味みたいなのもゼロで、強いていえば、ほんの一歩、踏み違えただけで奈落の底に落ちていくかのような、危険な世界。
個人的に印象的だったのは、「広場にて」の主人公アレハンドロ。痛ましい最期を迎えるのだけれど、このキャラは後に才人トム・リプリーとして花開く。卑しいけれどもいやらしいところのないこのパラノイアの才人は、妄想と現実をいったりきたりするかのような過敏すぎる神経を武器に、友を殺し人をあざむいてサクセスしてゆくのだ。しかしひどい話だ。そんなひどい話、ひどいキャラが世界的にヒットしたのだから、人間、捨てたものではない。
回転する世界の静止点──初期短篇集1938-1949
パトリシア・ハイスミス (著),
宮脇 孝雄 (翻訳)
河出書房新社
2005年1月
価格: ¥2,520 (税込)
村松 友視 さんの「ヤスケンの海」が文庫になりました! 村上龍センセイの後書きがサイコーです! やっぱり龍サンが大好きだ(告白) 表紙もなつかしい「帰ってきたガンマン」の絵でナイスです。ぜひ読もう!
村松 友視
「ヤスケンの海」幻冬舎文庫
価格: ¥600 (税込)
ネット上に自分の本棚を作るというもの。同じ本を持ってる人がわかるらしい。せっせと本をつめこんで、気がついたら3時間くらいたってた(汗) たぶん、10年たっても好きな本ばかり。
上のほうの「散らかす」をクリックすると、表紙の絵が一覧できます。
あらためて見て、かたよりすぎだとか思った(苦笑) 新刊がでるたびに読んでるのに、最初の100冊にはいってこない作家とかいるなあ。(ヨシダシュ○イチとかエ○ニカオリとかイノ○ナオキとか)。まだ10年たってないからかしらん。すごい疑い深いのです。人間不信というか。なんでしょうね(苦笑)
「半島を出よ」上・下巻読了。
この「見切り発車」ぶりが素晴らしい。こんなんぜってー書けねー! と思いながら、それでも書かなくちゃって思って、すごい取材して勉強して、見切り発車して1600枚のお話を作ってしまうこの作家が、やっぱり大好きだ。
つっこみどころは満載。軍事・政治・経済・日本・北朝鮮・脱北者・建築・爆破物・生物学などなど、膨大な情報が消化しきれていない感じなのです。大勢の登場人物がでてくるけど、みな断片的で、長さの割りにそれぞれの関係が発展していかず、特に北朝鮮のコマンドーたちのプロフィールが、ひとりひとり祖父の代にまでさかのぼって回想されるくだりは、作者自身が取材した現実に圧倒されているような印象を受けました。とてもていねいにていねいに説明してくれるけど、村上龍らしいキレてる部分があんまりない感じ。ジェットコースター的な快感があるわけでもない。
正直言って、途中までは「これは“痛ましい傑作”という部類の本なのか?」ってどきどきしながら読んだ。でも読み進めるうちに受取り方が変わりました。
それはそうだろうと思ったですよ。2010年のアジアというビミョーな近未来を舞台に、正しいのは誰なのかみたいな感じで簡単にオチをつけられる人なんていないですよ。ていうかフツー書いてみようとさえ思わないのでは。でも村上龍は書いてしまうのだ。「書けるわけないが、それでも書かないと始まらない」と最後までブチブチ言いながら(後書き参照)。
いいシーンがたくさんあります。音楽が出てくるシーンはみんな素敵。それから終末も。装丁も。
半島を出よ(上)
著者:村上 龍
税込価格 : \1,890 (本体 : \1,800)
出版 : 幻冬舎
発行年月 : 2005.3
半島を出よ(下 )
税込価格 : \1,995 (本体 : \1,900)
花園神社で桜を眺めた夜。
前向きなこととか生産的なことがほんっとーうに、苦手だ。ヒマでないとだめなのだ。ふらふらサッカー見に行くとか歌舞伎座に行くとか村上龍の新刊を読むとかバカみたいに6時間もかけて協奏曲をエンコードするとかチェルシー・バルセロナ戦の1stレグと2ndレグを続けて見るとか、そういうことのために時間を使えるのでないと、本当に病気になっちゃう。ただヒマにしてたいだけ。製品名「人間」としては欠陥商品だなーといつもどっかで感じている。林芙美子のように、自らを宿命的な放浪者と言い切るほど肝がすわっているわけでもない、っていうのが凡人の凡人たる由縁なのだけど。
「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…」 昨年発行のみすず書房「放浪記」は、放浪真っ最中の女性の生ブログ(と思ってください)。通常「放浪記」と呼ばれている本は、後になって作者が自伝としてかなり手をいれたものなのだけれど、みすず書房から復刻された改造社版はレアな日記なのです。某氏のマドンナさん(笑)から教えてもらいました。村上龍の「半島を出よ」としりあがり寿の「小説 真夜中の弥治さん喜多さん」読み終わったら読むつもり。
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林芙美子放浪記(大人の本棚)
著者: 林 芙美子
税込価格: \2,520 (本体: \2,400)
出版:みすず書房
発行年月:2004.2
内田 樹という人の本を一冊読み、たまにブログを読んでいる。ふーん面白いこと言うなーと思うものの、なんかもうひとつ釈然としないものがあった。なぜだ。
なんでかわかった。この人の文章、引用がすごく多いのだ。それでもって、引用文をベースに、ご自身の論を展開される。当然、その引用や解釈には内田氏なりのバイヤスがかかっているはずなのだが、そこには「これこれの時代にこれこれを背景としてこれこれの人が言ったこれこれの言葉を、私(内田氏)はこのように解釈する。その私の解釈に基づいて考察してみると・・・」っていう、この解釈には内田氏のバイヤスがかかってますよっていう、断り書きがあんまりないのだ。ような気がする。距離感がないっていうか。という気がする。
えー私の読み違いというか読み落としじゃないという自信はぜんぜんありません。でも距離感なくオルテガとかブルデューとか引用されても、本当に彼らが内田氏の言う意味でその言葉を言ったのかどうか私には検証のしようがないです。読んだことないもん。そんなわけで、オルテガってほんとにそう言ってるの? と最初から斜にかまえてしまうものだから、氏の論にももうひとつはいっていけない感じ。
というものの、単に私のキャパオーバーなんだろーなーという気もするので困ります(苦笑)
つまり私の知らないいろんな学者の名前をだされて、ケムにまかれてしまう感じがなんか釈然としないのですね。でもそのウネウネ感とか飛躍がいいんじゃない! っていう人もたくさんいるのだと思われます。あと、ブログの文章にそこまで要求するのもへんかな、という気も我ながらちょっとするんですけどね。あーそういう問題なのかも。本になるのならもっと手をいれられるのだろうし。
自分としては、何でしっくりこないのかわかってとりあえずすっきりしました。 個人的には、ブログで読んでる限りでは、引用のないご自身の言葉で書かれた文章のほうが面白いです。大学経営の話とか。知らない業界の話は面白い。
えっ 勘三郎襲名の口上の襖絵は、 金子國義 なんですかっ みたい・・・ やっぱり昼の部も行こうかな。幕見で・・・
なんかゆうべから妙なことがあって調子が狂い、送らなくてもいいメールを送っちゃったりして少々凹み気味だったので、気分を変えようと会社帰りに本屋さんをうろうろ。襲名興行直前の勘九郎丈の日記形式エッセイを手にとってみました。
ニューヨーク公演の舞台裏や、いかにして勘九郎は妻好江さんの尻にしかれるようになったか、とかトム・クルーズの厳しいキレぶりに「父で慣れてますから」と言い放った七之助君のエピソードから、真夜中の歌舞伎座に忍び込んではしゃぐ野田秀樹、入院先から抜け出してきた勝新太郎まで、軽妙なトーンですごいことが次々と語られるの魅惑のエッセイ。
おっかしいのは勘九郎丈(この本は去年の11月の発行)の遊園地好き。ロサンゼルスのディズニーランドで鼻血だしたほど好きらしい。豊島園とか横浜ドリームランドまで熱く語っちゃう。激しく納得。
舞台を見るのが楽しみ! でもチケットはない・・・ 風邪引いたり腰いたかったりでチケットのことなんかすっかり忘れていたので、おっとり刀で一般発売の3日後に電話したら当然ながら全席売り切れ。もうね、今月は、昼夜、幕見でいっちゃいますよ。今日、歌舞伎座に聞いてみたら、土日でも、昼の部は7時、夜の部は2時頃から並べば楽勝みたい。2時間並べば見れるんだからさっ あきらめないで、さあみんなでレッツラゴー!
勘九郎日記「か」の字
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著者: 中村 勘九郎
税込価格: \1,890 (本体: \1,800)
出版:集英社
発行年月:2004.11
アクセス解析の類は唯一「my blog list」のクリック情報欄だけなのですが、こないだ「半ケツ」というタイトルのエントリーをアップしたらアクセス倍増してました。今日はどうかしら(笑) 脚を開いて床にすわり胸を床につけようとしたところ、太ももの内側がびりびりした、というだけのことなのです。きゃはははははは!
最近読んだ本など。
■ポール・アルテ「赤い霧」ハヤカワ・ミステリ(あの長細いミステリーシリーズです)
最近のミステリーではこの人が一番好き。簡単でかつあっと驚くようなトリックで騙されがいがあります。それに加えて本作はジェームス・エルロイやアンドリュー・ヴァクスのテイストも。信じられる? 優雅なミステリーでありながらエルロイ的でもあるなんて。そんなことが可能なのです。★★★★★ オススメ!
全部読み終わると素晴らしいんですよ。もう忘れられない結末。でもとにかく前8/9くらいがかったるいのです。日記形式なんだけど、この日記がつまらない。最後まで読むと、そのつまらなさこそキモだったとわかるのだけれど、先に2作目の「荊の城」読んでなかったら途中で挫折してたかも。むずかしいものですね。
「昔の女性は小水をがまんするのと同じ感覚で月経血をコントロールできた」
「出産は本来気持ちいい体験だったはず」
「もっと身体の声に耳を傾けよう」
というあたりはわりと素直にうなずきながら読んだ。
ところが、終章近くなると
「不倫でも(性交する)相手がいたほうがいい」
「でも院長先生は絶対離婚しない。なぜならば奥さんが会計を握っているから」
などとかなり脱線気味。もしかしてこの本、早産気味だったのかしら?(そういう言い方をすれば)
■内田 樹「街場の現代思想」NTT出版
これ1400円かあ。
私は好きな本の感じというのがものすごくはっきりある。字は適度に小さめで、漢字は少なめ、余白はどちらかといえばゆったり、紙は少し黄色味がかかっているのが読みやすく、そしてここがもっとも重要なのだが、二段組になっていればサイコー! だって同じお金出すなら字がいっぱい書いてあるほうがよくなくない!?
過去に読んだ本でこれに合致しているのは新潮社装丁室による辻邦生「春の戴冠」と、白水社のフリードリヒ・ヘルツフェルトによる「わたしたちの音楽史」。後者は挿絵までついてるのだ! 「街場の現代思想」は字が大きすぎる上に少ない(漢字が少ないのはよかった)。カバーはかなりよかった。
装丁はクラフト・エヴィング商會。
やっと読みました。ああ~こういうのが読みたかったのよ! 主人公は20世紀終盤のウクライナの首都キエフに住む、小説を書いてない小説家。憂鬱症のペンギンを飼ってます。ウクライナといえば、去年の秋に大統領選挙で有力野党候補者が毒を盛られて顔がめちゃくちゃになったという、あの国です。あの国です。あの国です。あの国で生き延びようと思ったらペンギンでも飼うしかないのよ。
すぐ思い出したのは岡崎京子の名作「pink」。ヒロインがワニ飼ってるんだよね。バブル期の日本でも、ソ連崩壊後のウクライナでも人間て哀しい生き物だということは同じなのねー! 一番良かった頃の村上春樹に似てて、より切れてる感じ。でも「やれやれ」とかは言わないよ。★★★★★
あとこれ読んで思ったんだけど、日本の作家は登場人物にセミだのクジラだの思わせぶりな名前つけるのやめればいいのにね。一番最初にやった人はすごいと思うけど、今となっては雰囲気だけでしょ。それならホンモノのセミとかクジラが出てきて人探ししたり犯罪おかしたりするほうがよほど面白いんでないの。川上弘美の短篇で居酒屋で隣に座ったタコにからまれるっていうのがあったけど、これがよかったのですよ。タコが。哀しくて。
「ペンギンの憂鬱」
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アンドレイ・クルコフ著
沼野 恭子訳
税込価格: \2,100 (本体: \2,000)
出版:新潮社
発行年月:2004.9
芥川賞をとった阿部和重の「グランド・フィナーレ」を読んでみた。以下ネタバレあり。文藝春秋3月号をお風呂で読んでたら湯冷めした。
【粗筋】
主人公「わたし」(36歳・男)は、離婚しているが自分の女の子供に会う権利がない。離婚の原因はDVということになっているが、実は撮り貯めた少女のヌード写真(自分の子供含む)だった。教育映画の助監督をやっており、出演者の子供たちにバイトをもちかけていたのだ。(このへんは友達に誘われてのこのこ出かけていったクラブで友達に暴露される)
実家にかえり職もなくぶらぶらしているところ、地元の小学校の文化祭の演劇の演出を頼まれる。その中のふたりの女子が、ふたりだけの演劇をやりたいので教えて欲しいと思いつめた様子で「わたし」に頼む。ひとりは町中から激しい虐めにあっていた。兄が殺人事件を起こしたからだ。一家は転居するらしい。演出をひきうけて小道具なども手作りしてやる。あるとき、「わたし」はふたりの女子がインターネットで「自殺マニュアル」サイトを見ているのに気づく。やがて最後の芝居の上演日がやってくる。
読んですぐの感想は 幼女偏愛嗜好を旬のネタだと思って書いてみただけなのかな? というものでした。でも切込隊長さんの「幼女性愛」は成人男性に共通する病理?」というエントリーを思い出してちょっと考えてしまったので書いてみます。
保険会社の調査の分析を依頼され、感じとして公開できる範囲で、と前置きした上で紹介されています。これがちょっと驚いた。引用の仕方が適切かどうかちょっと自信がないので、興味のある方はリンク先を読んでみてください。
「14歳以下に対する性的欲情の発露は成年男子にとって極めて正常な反応。それを具体的な行為に伴う犯罪に昇華させる率は、その人の性行為の多い少ないにかかわらず一定の割合必ず存在し、同様に所得や学歴、家族構成といった属人性による関連付けはできない」
炉莉に関心を持つ人というのは、成人女性に相手にされなかったのでやむを得ず炉莉趣味になったという割合が15%内外と低い結果に終わったことを考えると、実は炉莉が守備範囲かどうかはその人の才能というか性的資質によるものであることはほぼ断定してよいと思う。
現実には潜在的に守備範囲であると名言する人が国の別を問わず4割以上はいる計算になるのだ。しかし、それが社会的な抑圧によって炉莉=犯罪という構図になると早期に性的関心を若年層に対して持った性的資質を持つ人は、40年以上に渡って己の中の炉莉と戦わなければならないことを指す。
うーん。そうなんですか。私は一応女ですが、おしもおされぬ中年なので、私を女性としてみない幼女偏愛嗜好の人には単純にむかつきます(苦笑) っていうのはまあないことはないです。あと、自分の欲望を実現できないから、妄想に走るっていうのが気持ち悪いとかいうのもまああります。
でもそれはわりとどうでもよくて、どっちかというと、いっそくとびに、実際に対象にされた幼女がその先何十年も背負わされることになるものすごい重荷を想像してしまうんです。会社の上司にちょっとセクハラされたくらいのことで何週間もウツになっちゃうようなこと考えれば、子供時代に性的に玩ばれたら何十年間苦しめばいいのか。苦しみから解放されたころにはもうおばあちゃんですよ! 人生だいなし。生まれてこなけりゃよかった。とか。
落ち着いて考えれば、みんながみんな性的犯罪に走るわけじゃないのは理解できるような気もするのですが、それよりも自分の女の子供(いないけど)や友達の女の子供にそんな思いをさせたくないっていうのがすごい強く働くような気がします。なので「炉莉=人間の資格なし」って決め付けちゃったほうが簡単でいいかなー っていうふうに思いそうになる自分がいます。人間そんな単純なものじゃないということは頭ではわかっていても、ことこの件に関しては。ちょっと。っていうふうに。どうしても。
んで「グランド・フィナーレ」なのですが。「炉莉=人間の資格なし」というほど単純なものでもなくて、でももちろん子供は守られなくちゃいけないってのもあって、ああ人間ってむずかしいってことが書きたかったのでしょうか。それがわからないんだってば、この書き方じゃ。なんでクラブでクスリやってるあほな若いモンが「ウガンダの子供はかわいそうだ」とか語り始めたり、「ロリコンって許せない!」とか説教はじめたりするんでしょうか。
とまあちょっとどう受けとったらいいのかわからなくて困惑していたところ、村上龍氏の選評を読んでああそういうことかと思った。「肝心なことが書かれていない中途半端な小説」「危険なモチーフに作者が踏み込んで書いてないのが不満」「逃げているとか、態度を曖昧にしているという疑いを読者に持たれてはいけない」「このようなセンシティブなテーマを一人称で書くのは致命的に未熟」などさんざんくさしたあげく
批判ばかり書いたが、それも私は安部氏の作品を推した。その理由はただ一つ、小説にしかできないことに作者が挑戦しているように感じたからだ。
と。やっぱりこの人むちゃくちゃいい人だと思う>村上龍
阿部和重「グランド・フィナーレ」
著者: 阿部 和重
税込価格: \1,470 (本体: \1,400)
出版:講談社
発行年月:2005.2
前から悪かった腰がいよいよまずい状態になり先週は2日も会社を休んでしまいました。連休は飲み会も歌舞伎もキャンセルし、開き直って寝正月再来とも言うべき日々でした。ちゃんとトレーニングしてほんとになおすぞー と激しく決意したのであった。
んで連休中の成果。
■桜姫東文章(下)
うーん、期待しすぎたせいか、思ったほど面白くなかった・・・ お坊さんの清玄は若者白菊と心中を図り、自分だけ生き延びてしまう。17年後、桜姫が白菊の生まれ変わりとわかり、清玄はお姫様にすんごい執着するんだけど、姫は押し入り強盗の権助にレイプされたあげく権助を好きになっちゃって他の男はぜんぜん目に入らない。清玄は、姫の相手は自分だと名乗り出てさらし者にされ放浪の身になったうえ物盗りの目的で殺されてしまう。頓着しないお姫様は権助と再会し遊女になる。「自らは・・・」っていうお姫様言葉と「なんでぇいっ」っていうお下品な言葉がちゃんぽんにあらわれるのが面白い。でも枕元に清玄の幽霊が現れるので客が逃げちゃう。そうするうちに桜姫は、酔っ払った権助の口から、父と弟を殺したのは権助だと知り権助を殺害。昔の家来が姫を助け、大団円。だったのでした。これは歌舞伎座で一日かけて上演されたのだけど、生で見てたら全然違う感想だっただろうなー 残念!
■グレムリン
すんごいB級映画で思わず目が離せなくなった。
■トールキン関係
■バルザック「セザール・ビロトー」
これが一番いい。腰痛いとなぜかファンタジー系はつらい。手形を90日だ40日だ50日だとやりあう会話を読むと心底ほのぼのします。すさんでいるのでしょうか。
ところで、きのうの朝9時に「あたしってまた自殺未遂するかもしれなくてぇ~・・・」と電話が。こっちは腰いたくてそれどころじゃなかったので生返事をしていたら、同情され励まされた上に「でも5月にはみんなで旅行もあるし、6月にも約束があるし、早く元気にならなくっちゃ♪(注:電話してきた本人が自分に対して言っている言葉)」とのこと。
_| ̄|○ とりあえずスカパーにはいって映画チャンネルでもつけっぱなしにしていたら? と言ってみた。別にスカパーの回し者ではありませんけど。というかどっちかというとこのお方は人並みはずれた生命力の持ち主のようにお見受けするのですが違いますか。
トールキンを読む楽しみっていうのは、ヘンリー・ダーガーの「Vivian Girls!」を見る楽しみと似てる気がする。知的障害者だったヘンリー・ダーガーの作品はアウトサイダー・アートと呼ばれる。これあんまりぴんとこない。自分をアウトサイダーと思わないアーティストなんているのでしょうか? ダーガーは思ってなかったかもしれない。自分をアウトサイダーと思わないアーティストの作品はアウトサイダー・アートと呼ばれるのかしらん。
ヘンリー・ダーガー1892年シカゴ生まれ。12歳の頃、重度の知的障害の子供たちのための施設に預けられ、17歳で脱走、81歳で亡くなるまで皿洗いをしながら、晩年の10年間は社会保障を受けつつ誰にも知られずに15000ページの空想物語を執筆。タイトルは「非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子ども奴隷の氾濫に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語」。300点の挿絵を残した。
話変わってトールキンの「シルマリルの物語」をぱらぱら見ています。トールキンが創作した、「指輪物語」の背景になってる神話世界のお話なのです。「指輪物語」のずっと前に骨格はできあがりながら、トールキンが最晩年までずっと手を入れ続け、その間著者自身の哲学も変わり同じ伝説が違う文体で語られ、到底刊行できる最終稿とはなり得ないと思われた膨大なテキストを子息のクリストファ・トールキンがなんとかまとめあげたというもの。
トールキン自身が、「指輪物語」とともにこの「シルマリルの物語」を一連の大長編サガとして出版したいと友人の編集者にだした手紙がすごい。ちょっと長いけど引用。
-前略-いつ生まれ、どのように育ち、いかに構成されているかの順に話を進めるなら、わが拙作は私とともに始まったのです-もっとも、そんなことは、私以外の誰にもあまり興味はないでしょうが。つまり今振り返ってみても、私はこれを作っていなかった時のことを思い出せないのです。空想上の言語を作ったり、作り始めたりする子供は大勢いますが、私は字がかけるようになって以来、今に至るまでずっと言葉作りに関わってきたのです。一度もやめたことがありません。もちろん、今は言葉の専門家ですし、(とりわけ、言葉の美的価値に関心を持つ者として)好みは変わってきており、理論的にも、また多分技巧的にも進歩しています。
私の書いたいくつかの物語の背後には、互いに関連を持った複数の言語があるのです(もっとも、構造上の素案に過ぎませんが)。私の言うエルフは英語で言うエルフのイメージとは違うのですが、私は、私がエルフと呼ぶ者たちに、二つの言語を与えました。この二つは互いに関連を持ち、私が作った他の言語にくらべ、かなり完成していると言えます。その歴史も書きました。このふたつの言語の語形は(私自身の言語的嗜好の相違なる二面を表しているのですが)、共通の語源から科学的に導き出されたものです。私の伝説に出てくる名前のほとんどは、この二つの言語から造られたもので、このことが、名前のつけ方に、ある特徴(相互の関連性、言語様式の整合性、そして史実であるかのような錯覚)を与えている、と私はまあ思うわけです。これは、ほかの似たような作品には著しく欠けていることです。誰もが、私のようにこんなことを重要と思うわけではないでしょうから。因果なことに、私は、こういうことにひどく敏感なたちなのです。-後略-
ダーガーがもし自分の物語を作品以外の言葉で語ることができたとしたら、これくらいのこと言ったんじゃないのか。この手紙をもらった編集者の人も困ってしまったことだろう。その歴史も書きましたっていったい。今まで私は、「ファンタジー」っていうのはひとりよがりでナルシスティックで屁理屈こき僧な出来の悪い作り話のことを言うのだと思ってました(エヴァンゲリオンとか)(なぜかエンデやヤンソンをファンタジーとは認識してなかった)。でも「指輪物語」を読んでしまったら考えが変わりました。トールキンやダーガーの情熱、これがファンタジーの世界というものなのですね。ドキドキしてしまいました。ただただ驚いた。
どうして私これまでトールキンを全く知らなかったのだろう。とつらつら思い返してみるに、小学生の頃、メアリー・ポピンズだのドリトル先生とかの次に読んだのがコナン・ドイルとアガサ・クリスティとエラリー・クイーンだったのですね。中学の頃にはポーとかレイモンド・チャンドラーに走り、次に松本清張とかドストエフスキー。要するに読みそびれたのね。そういうの多いなー 夏目漱石とか。よく読書家の方に「えっ あれもこれも読んでないんですかっ いいな~ まだ読んでない本がたくさんあって・・・」とうらやましがられます(笑)
J.R.R.トールキン「シルマリルの物語」
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著者:J.R.R.トールキン
田中 明子訳
税込価格: \3,675 (本体: \3,500)
出版:評論社
サイズ:A5判 / 588p
ISBN:4-566-02377-X
発行年月:2003.5
半年くらいろくに映画もあまり見てなかったし本も読んでなかった。本なんか読んでどうするの? とか、映画なんか見てどうするの? って気分になることありませんか? たまにそういうふうに人間不信というか何か不信になることがあります。なんとなく脱けつつあるけど。
■ジョゼと虎と魚たち
障害があるからとか関係なく、若い頃の恋愛ってこうだよなーというところはちょっとジンと来た。しかし一方でジョゼの少女趣味な言動にげんなりしている自分がいた。障害があるとかどうとかは関係ない。見苦しくも生き延びてしまうということは少女趣味とは正反対なのね。私は若い頃をなつかしく思い出せるタイプじゃないのです。抹殺したい過去多数。最後にひとりで電動車椅子を駆使して出かけていくジョゼのほうがずっと好き。
■木更津キャッツアイ 日本シリーズ
余命半年を宣告されたぶっさんと仲間達のどたばた話。公開時の2003年、身近に癌で余命僅かという人が2人いたので、ずっと見れなかった。いや見れないですよ。やっぱり。今となっては「あーわかるー(爆笑)」って感じです。ほんと、死は誰にでもやってきますから。ジタバタしないようにしたいです。自分の死も他人の死も。
■桜姫東文章(上)
去年の7月に歌舞伎で昼夜に渡って上演された公演の昼の部。鶴谷南北ってもうどろどろ。歌舞伎は役者さんよりお話で見てしまうんだけど、今のところ滝沢馬琴のほうが好きかも。「椿説弓張月」とか。前半もすごい展開だったけど後半どうなるのかしら。感想保留。
■指輪物語
全六巻のうち「2つの塔」の下巻が読み終わるところ。さすがに飽きてきた(笑)
■鴨とあひるとコインロッカー(冒頭だけ)
間違えた「アヒルと鴨のコインロッカー」 なぜこの人たちはたかだか万引きくらいでこんなに四の五の言ってるのでしょうか? そんな大事件? それにボブ・ディランの「風にふかれて」とかどういうつもりでひっぱりだしてきたんだろう。50年も前の歌じゃない。と申しますか今ちょっと波長があわないので保留。関係ないけど吉田修一のうまさって鶴太郎の演技と似てませんか。なんか私に足りないのはやっぱり殺人なんじゃないかしら。という気がしてきました(苦笑)
読もう読もうと思って読みそびれていた中村修二「怒りのブレイクスルー」集英社文庫 をこの機会に読んでみた。2001年に刊行されたものの文庫版。アメリカに移住した翌年の本ですね。
冒頭の文庫版のために書かれた文章が泣ける。東京地裁で日亜化学に200億の支払い命令が出されたのが2004年1月、文庫化されたのが2004年5月のことだから、その間に書かれた文章だろう。仮定の話になるけれど、と前置きしたうえで、「ある程度の額を勝ち取ることができたら、やる気のある学生に奨学金をだしたり、優れた研究機関に費用を援助したり、教育的な財団を設立するとか、自然科学系の教育を支援してもいい」と考えたそうだ。
ともうその時点で完全に中村びいきになり本文を読み進める。すると。
あんたはミルヒーとおもちゃとりっこしてるヴィエラ先生かい!(by「のだめカンタービレ」第2巻)と思わずあぜんとする他ない素晴らしい(いろんな意味で)エピソードのオンパレードなのであった。
毎日夕方6時頃、研究室が爆発するのが近隣の名物だった。とか。
他社の研究者に「よくこれをひとりで設備もなく作りましたね」と仰天され「だから買ってください」と営業してまわり「このまま営業部に配属されたらどうしよう」とおびえた、とか。
予算もスタッフもいないので実験設備を全部自作し、大企業の研究者なら器材の発注・納品に3ヶ月もかかるところが1日でできた、と得意げだったり。
青色LEDやろうと決めて当時の社長にかけあい米国に留学することになったものの、飛行機に乗ったことなくてすごいこわかったとか。
実はすっごい人付き合いがよくて、年下の部下ともうまくやっていけるとか。
アメリカの友人からは敬意と同情をこめて(会社の)スレイブ中村と呼ばれたとか。
この人、ノーベル賞に最も近い男って言われるような人なんですよ!?(笑)
この(笑)ってつけたくなっちゃうところがポイント。この人の文章なんかおかしみがあるんですよ。すんごい苦労話してたかと思うといきなり子供の頃の兄弟げんかに話がとんだり、万年負け続けの部活動(バレーボール部)の話になったり、会社に文句言ってたかと思うと日本の大学受験制度はなっとらん! と怒り始めたり。
ご自身がおっしゃるように、世間知らずな人だなーって思う。そしてむちゃくちゃで子供みたいでばかみたいにお人好しでそれはほとんど「本当にこのひとは-研究がなかったらいったい-」って言いたくなっちゃうくらい。アメリカだっていいことばかりじゃないと思う。大学の研究グループのボスが、学生の研究成果に横槍をいれたり、上層部がごちゃごちゃ言ってきたり、個人の業績を会社が横取りしたり、そんなこと日本じゃなくてもどこにだってあるだろう。でもだからこそ、こういう人がいてくれなくちゃつまんないですよ。ほんとに。
「怒りのブレイクスルー」
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著者: 中村 修二著
税込価格: \560 (本体: \533)
出版:集英社
サイズ:文庫 / 284p
発行年月:2004.5
評論社「指輪物語」全6巻読了。面白かった~。本を開くとすごく豊かな別世界が広がっていて気持ちの中に温かい湯が流れ込んでくるよう。というわけで1巻目にもどり再読しはじめちゃいました(笑)
気に入ると何回でも読んでしまうのです。何回でも読みたくなる本は今までに2作品あって、一番目は辻邦生の「春の戴冠」。ボッチチェリの生涯の話で、これも本を開くとそこにはルネサンス期のフィオレンツァの町が広がっているかのよう。二番目は森茉莉の「甘い密の部屋」。夏目漱石の明晰さよりもこういう過剰な世界のほうが生きてるって感じがして好きです。そんで三番目が「指輪物語」なのだった。
映画を見て疑問に思ったところ。
①ガンダルフが当然のようにミナス・ティリスを仕切っているのは国民的にはどうなのよ? とか、
②アラゴルンにふられたエオウィンが半ば自棄になって戦場へ赴くのはちょっと女性として痛ましすぎるんじゃないのー、とか、
③なんでガンダルフとピピンが他人の国で勝手にのろしをあげてるのー? とか、
④ファラミアのこともっと描いて欲しかった、とか、
⑤ファラミアのお父さんのぷっつんぶりはもうちょっとどうにかならんのか、とか、
⑥あんな大事件があったのにホビット庄だけは少しも変わりがないなんてへんだ、とか、
⑦サルマンがあっけなくどっか行っちゃったのも納得できない、
などなど、数々の物足りない点は全て解消されました。読後感は、子供の頃読んだ「天路歴程」に似てる気がしました。これもライオンと戦ったりして面白かったんだよなー 「天路歴程」でゲーム作ればいいのにとかいったらバチあたりすぎるかしら。
逆に、これだけの話をよく思い切ってあそこまで刈り込んだなー いやーすごい映画だったんですね。なんていってるうちにはやアカデミー賞の季節。ほぼ1年遅れですね(笑)
矢幡 洋氏の「依存性パーソナリティ障害入門」日本評論社 を読んだ。感想。心理学(に限らないと思うけど)は流行りすたりが激しいなー。
日本人の特性をあらわす「依存性」を解き明かそうとする書物として、71年の土井健郎「甘えの構造」が有名だけれど(2001年に新版が発行されている)、矢幡氏は「甘え概念は依存性概念に席をゆずって退場すべき」と言っている。
依存性の現象を解明するのに、「相手との密着関係への願望」「母子一体状態への希求」「「母親への幼児感情の転移」「分離を否定し一体化を求める」「分離の痛みを止揚しようとする努力」などといった精神分析的な大仰な道具立てが何ら必要でないことは明らかである。ミロンやベックが主張するように「自分の能力を過小評価するという認知パターンを持っている人間が安心感を獲得するためのスキル」というシンプルな定義で十分なのであり、この明瞭さが依存性概念にさまざまな社会現象を解明する機動性を持たせているのである。
精神分析ってなんなんだろなって思う。ある精神科医の人が「患者は皆同じことしか言わない」と言っていたのを聞いたことがあるけど、それは精神分析の理屈にあてはめる聞き方をしているから皆同じに聞こえるのではないかしらん。人の行動の因果関係にパターンを読み取ろうとするのが精神分析なのでは? 問題なのはそれでその人が何をするか、なのだ。
ただ、自分のルーツを確認することで、現在のその人の身の上に起こる困った現象が解消されることってほんとにあると思うから、否定するつもりは私は全くないのです。
なるほどなーと思ったのは、一世を風靡したように思われる(思われる、というのは、リアルタイムでは読んでないから)土井健郎の「甘えの構造」が、認知理論全盛期の今となっては全く不要なものとされている点なのです。人間のやってることってあんまり変わらないような気がするけど、それをどうとらえるかという考え方が30年かそこらでこんなに大きく変わるというのはなかなか興味深いです。門外漢の私にも、現在の心理学の動向などがわかりやすく書かれてあってよい本でした。
「依存性パーソナリティ障害入門」![]()
著者:矢幡 洋
税込価格: \1,785
出版:日本評論社
発行年月:2004.10
12月29日の大雪の日に風邪をひいて、食事のたびに市販の風邪薬を飲んでいたらこれが強烈に眠くなるのです。なんだか寝てばかりいて自己嫌悪。でも会社が始まるまでに直ってなかったらいっそう自己嫌悪に陥ること必須なので明日一日で直してしまおう。
■井坂幸太郎「グラスホッパー」角川書店
本屋で平積みになってたので買ってみた。不思議な幻想小説のようで楽しく読みました。文章がとてもきれい。特に会話がヘミングウェイの短篇「殺し屋」みたいで洒落ていた。初期の村上春樹を思い出しました。
似てるところ。巻き込まれ型の物語展開や、鯨、蝉といった登場人物たちの名前(ハルキなら鼠とかだよね)、押し屋(車の前に人を押しだして殺す)や自殺屋(依頼を受けて誰かを自殺するように仕向ける)といった非現実的な職業やギョーカイ、端整なんだけれどどこかふわふわとした文章。作者は村上春樹を古典として読んだ世代の方なのかと憶測。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が1985年、井坂幸太郎氏は14歳か。でも私も初期のハルキとか忘れちゃったなー 読み直してみたら全然違うかも。
ラスト、主人公に一連の事件を「あれはいったいなんだったのか」といわれてしまうと私はちょっとつらかった。そう言われても。
■ピーター・ラヴゼイ「バースへの帰還」ハヤカワ文庫★★★
■ピーター・ラヴゼイ「偽のデュー警部」ハヤカワ・ミステリ文庫★★★★★
■桐野夏生「アイム ソーリー、ママ」集英社★★★
■F.W.クロフツ「ポンスン事件」創元推理文庫★★★★
■キル.ビルVolⅡ
■キューティー・ブロンド ハッピーマックス
■「三四郎」「それから」「門」「こころ」「草枕」「彼岸過迄」
「坊ちゃん」と「猫」は大好きだったのだけど、「三四郎」でミネコが「ストレイシープ」と書いた思わせぶりなはがきをよこすところでいつも挫折。ストレイシープ・・・ ポエムですね。って感じだったのです。どうして私はこう散文的なのでしょうか。そんなわけで4度くらいくじけていたのですが、やっと読めた。
今読むとなんだか危険な香りがします。だって登場人物たちはみんな頭いいのに働いてないですよ!? そしてすごく悩んでいる・・・ そういう人すごく増えてるのでは。それを明治時代にこんな明晰な文章で書いちゃうとは、夏目漱石ってとてもススンデル神経の人だったのですね。それと、私は森茉莉とか三島由紀夫のこっけいなくらい過剰に絢爛豪華な人工的な文章をかなり偏り気味に好んでいたことに気づきました。
お正月に備えて、ミステリーのおすすめをいくつか。
■サラ・ウォーターズ「荊の城」上・下創元推理文庫
宝島社「このミステリーがすごい!」2005年版の海外篇1位。「このミス」に関してはほとんどトラウマのような経験があるのですが、サラ・ウォーターズにはぐうの音もでませんです。ちょっとでも説明しようとするとネタバレになっちゃうのがもどかしい。それくらい息もつかせぬどんでん返しの連続。強いて言えば、うぶであばずれで純なふたりの女の子たちが、チャールズ・ディケンズのロンドンを舞台に、デートコースの「ミラー・ボウルズ」を思わせる泣きたくなるほど安っぽい(そして胸苦しく切ない)トーンで、ユイスマンスのデカダンスやルース・レンデルの悪夢の世界を繰り広げるのです。犯罪的な本オタクもでてきます。何言ってるかわかんないですが(笑) 読めばわかる! 読めば! ★★★★★
■P.コーンウェル「痕跡」上・下講談社文庫
スーパースペシャリスト、ケイ・スカーペッタの検屍官シリーズ最新刊。それでも読んでしまうハリー・ポッターファンの心理がわかるような気が。もういいよ~と思いながら年末になるとこれ読まないといけないように思ってしまうのだ。フィクションよりはるかに上をいっている現実の極めつけが9.11のテロだったわけなのだけど、P.コーンウェルという人は生真面目なのかなんなのか、現実の上を行く犯罪(と犯罪者)をこしらえなくてはならないと思ってしまったらしく、近年は正直いって読むに耐えないような作品もありました。んでも、これはいい! 好き嫌いはあるにしても、元検屍局のコンピューター・アナリストが考え付くアイディアと視点ってのは独創的なものですね。さらにいえば、上・下2冊もかけておきながら、後半、書いてる本人がもう飽きちゃってるふうなところがグー。この人、それくらいに力抜けてるくらいでちょうどいいです。ミステリーを書く人の動機は、怨念ではなく静かな怒りであって欲しい、などと思ったのでした。★★★★
2冊とも女の人の本ですね。次はピーター・ラヴゼイの名作「バースへの帰還」にとりかかります。ところでフロスト警部はこの冬は登場してないのでしょうか? 私が探してないだけ? ウィングフィールドって生きてるよね???
死体。血飛沫。紐跡。相続。嫉妬。短剣。密室。こう書いてるとほとんど牧歌的ですが、殺人ほど素敵なものはない! でもエンターテインメント文庫では、冒頭のシーンは濡れ場なのです。正直言ってかなーりへきえきしました。なんべん言ったらわかるのよだから私はセックスより死体が好きなの!
気をとりなおして読み続ける。わはは。この主人公やっぱり面白い。前作「流星を斬る」で走りまくっていた浪人梢竜四郎ですが、今作でも走っています。刺客を差し向けられて、とりあえず走って逃げる(というか身をかわす)んだけど、その走り方っていうのが
手足を互い違いに出す普通の走り
っていうんだから本気出したらどんな走り方するのよって思うじゃないですか。はい、あなたのご想像のとおりです。爆笑しました。いやーなんというかかっこいいというかかっこ悪いというか、美を備えていない「本気」なものほど美しいというか、なんともいえない壊れっぷりが爽快でした。
名医安軒(あんけん)センセイの活躍にも期待。
流四郎疾風剣-邪悪を切る

双葉文庫
著者:松本 賢吾
2004年11月
こんなに楽しめてとってもお得なお値段たったの消費税抜かして522円!
原始人がたいこを初めて叩いたときのことから、宇宙のひびきを再現する未来の音楽(の妄想)まで、音楽の歴史をヨーロッパを中心に2段組300ページでかけぬける本。すんごーい面白い! ハイドンさんてすんごいいい人だったのね。ベートーヴェンて生涯独身で寂しかったのね。ヘンデルさんは大食漢だったのね。ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」を思い出してしまった。考えてみればそうですよ、何百年の時を経て伝えられる音楽家たちが人間的にスケールが小さいわけないものね。そうか、そう考えればいいのか。「神」とか言ってないで。偉大な作曲家を「神」とか言うのほんとやだなー 人間がやってるからすごいんじゃないって思ってしまう。そういえばミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチを神よばわりするのってあんまり聞いたことないな。
そしてこの本は挿絵がとってもいいのです。学校の仲間と管弦楽団を作り得意になって指揮をするシューベルト少年や、6歳のモーツァルトが演奏を誉められてマリア・テレジアにとびついてキスするところや、パリのオペラ劇場で劇中にほんものの象が登場しちゃうところなんかが次々に出てくるのです。楽しいじゃないかー。
あと、ワーグナーの章でルートヴィヒ2世があっさり変人よばわりされてるのが面白かった。ヴィスコンティの映画やノイマイヤーのバレエを見ていると、ワーグナーの方が、ナイーブな王の狂気に金目当てでつけこんだ極悪人に見えます(笑)
フリードリヒ・ヘルツフェルト「わたしたちの音楽史」
税込価格: \2,520
出版:白水社
発行年月:1980(初版1962年、原書は1959年)
今年の秋は模様替えに明け暮れておりました。本や洋服や家具を大量に処分し、ベッドやカーテンを買いかえ、でっぱった柱にあわせて東急ハンズで板を切ってもらいパソコン机まで作っちゃった。これ以上ないってくらいすっきり整理したつもりだったのですが、どうもまだツメが甘いような気が。そこで模様替え系サイトで(そういうのがあるのね)紹介されていたアメリカの風水の本を読んでみました。
日本の風水だと、トイレは何色にとか、どの方角にこういう置物を置いてとかなんかよけい散らかって運気がさがりそうな感じですが、この本はすごい!
とにかくガラクタを捨てろ! 風水グッズを置くのはそれからだ! とひたすら煽る煽る。一応方角なんかも載ってるんだけど、北とか西とかは関係なくて、玄関が一番下にくるように見て自分の家や敷地・部屋をあてはめるっていういたってアバウトなもの(下図参照)
人間関係・恋愛・結婚の方角が「ヤスケン」と「マツケン」と「バルザック」コーナーになっちゃってるってのはどうなのよ。
安原 顕さんは生前に2回だけ寺子屋みたいな学校をやってたことがあって、それは10年くらい前のメタローグ社の主催するCWS(クリエイティブ・ライティング・スクール)と、なくなる直前まで続けていらした朝日カルチャーセンターの教室だったんだけど、私はそのどちらにも通っていたんです。私の知る安原さんは「こちら葛飾区亀有派出所前」の両津勘吉巡査その人でした。えげつなくてむちゃくちゃだけど、近所の子供には優しい、みたいな。寅さんという人もいたな。マツケンさんこと松本賢吾さんはCWSの同期生で、およそ殺人以外ならなんでもやっているげなお方。すごく大雑把にいうと阿部譲二さんカテゴリー? 塀にははいってないと思うけど。あ、警察官やってたんだっけ(汗) 今月中旬には時代劇の新刊がでるそう。楽しみ! そしてバルザックといえば霧生和夫センセイに「人間喜劇ならぬ喜劇人間」といわしめた知らぬ人のない世紀の大文豪。
つまり私の恋愛方角は、両津勘吉と阿部譲二と喜劇人間に乗っ取られていたわけなのね。私はとても性格がいいので、不本意なことは全て人のせいにするのです。
※安原さんのご家族がなんかの拍子でこのエントリーをご覧になったときのために名乗っておきます。私です私です朝カルのワタナベヨウコですもちろんガラクタ扱いなんていたしませんまた馬鹿言ってるわねと笑ってやってください(謝)
ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門(小学館文庫)

カレン・キングストン著
田村 明子訳
税込価格: \540
出版:小学館
カレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を買いに行って(なぜだ)、シャンソン歌手石井好子さんの有名なエッセイ「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」のビジュアルブックを買ってしまった。
「巴里の・・・」のレシピは、氏ご自身が後書きでおっしゃるように、現代の他の料理本と比べるとあまりに素朴です。でもこの本から伝わってくるのは作り方だけじゃないのです。お皿、テーブルクロス、グラス、鍋、コースター、いろんなものが組み合わさって、異国のハイカラな文化と、それに憧れる若々しい好奇心や憧れを、ぎゅ
クラシックの音大生の人々の学園ラブ・コメディー(とすごくかいつまんでいうとそういうことになる)
絵もお話も登場人物たちもおおらかで楽しい! 笑わせてもらいました。なんか千秋とのだめの関係は「白鳥麗子」と似てるような・・・ いや、違うけど。個人的には、5巻で千秋のラフマニノフの2番を聞いたのだめが、夢でミルヒーに「もっと音楽に正面から向きあわないと、本当に心から音楽を楽しめまセンよ」といわれるところが印象的でした。のだめちゃんがどのように進化していくのか楽しみです。
「のだめカンタービレ」

二ノ宮 知子
講談社コミックスキス
バカファンタジーは好きなんだけど、おおげさなのは性に合わないゆえ、世界最高のファンタジーと言われる原作にも作者にも、ましてやハリウッドだのアカデミー賞だのまったく興味のもてなかった私。「ロード・オブ・ザ・リング」三部作も、一応、話題なので第一部はだいぶ前に見たんですが、イライジャ・ウッド君扮するフロドの眉間の深いしわに辟易し、二部以降を見るのは断念したものです。
だってさー、世界の憂鬱を全部しょってるみたいな顔しちゃってさー、って、しょっちゃってるんだけどさ、あんな人会社の同僚にいたらいやだよー。いざというときに、皆が危険にさらされているときに、例えば展示会の前日の午後十時に印刷物に致命的な間違いを発見したときとかにさ、フロドみたく目をむいてプッツンいっちゃう仕事仲間なんて使えないったらありゃしない。ってわけで、諸悪の根源である指輪を悪の誘惑と戦いながら捨てに行く旅、ってえ物語に、根本的についていけなかったのですね。
なのですが、「あれは一部が一番つまんないんだよ。だまされたと思って全部見てみ」という知人の言葉に、若干斜にかまえつつ、スカパーのPPVで見てみました。息もつかせぬ展開にはひきこまれるものの、やっぱり話自体が好きでないと思った・・・ 人間は悪の誘惑に負けるもんだっていう前提がサディスティックなくらい繰り返されてて、もういいよ~ って感じで。それに戦争のシーンとか確かにすごかったけど、情報量が多すぎ。エレスサールってなによ。意味わかんない。って思った。
そう、オチにたどりつくまでは。
指輪を葬ろうとする旅の結末。すごく悲しくて、リアルで、でも救いがあるの。それまでの数々のいやーな話(感動的なエピソードよりいやな話のほうが強烈に訴えてくるのはなぜなんだろう)は、すべてここに収斂されていた。物語ってそういうものなんだ。
気に入ったので、家にいるときには録画したものをBGV的に流しっぱなしにしてしました。そうしたら、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵の背景みたいな美しい風景や音楽、衣装やセット、小道具の素晴らしさがやっと目にはいってきた。これは原作にあたってみなければなるまいと、図書館へおもむくも、区内の図書館で全部貸し出し中。気が短いので本屋へ行った。
うわ! エルフ語の本まであるよ(笑) エルフっていうのは物語に重要な役割を果たす妖精の一族で、北欧神話に出てくるのね。「指輪物語」は文学者で言語学者であるトールキンの研究の集大成みたいなもので、エルフ語の文字はトールキンが北欧の伝承物語研究の中で、古ケルト語をベースに創作したのだそうです。すごい人がいたんですねー。
原作は、話があっちにそれたりこっちにそれたりするところにかえって神話的な世界の厚みが感じられました。素朴な訳のおかげもあって、もっとゆったりして朴訥とした印象です。トールキンはこの古風な伝承物語風な語り口をわざとやってるのです。お話の中で、登場人物(ピピン)に、プルースト以降にありがちなくどくどしい情景の描写なんかをギャグっぽくさせてるくらいだもの。
映画の方は必死で話を進めないと終わらないので(笑)、もっとスピーディーで、ハリウッド映画らしく視覚的・直感的に訴えるつくりになっています。会話もすごく洗練されている感じです。ただし洗練されすぎてて、会話のひとつを聞き漏らすとあとで意味わかんなくなったりするので注意。
ファンタジーに抵抗がある人は、作家や物語が創作された背景からはいる楽しみ方もあるかも。いまさらトールキンや「指輪物語」やこの三部作の映画について、私などが語ることもないのは百も承知なのですが、私といっしょで、見ず嫌い、読まず嫌いの人もいるのではないかと思い書いてみました。ただいま、全6巻の原作の3巻目にとりかかり中。「のだめカンタービレ」を大人買いしようと貯めていたアトレやbk1のポイントは、旅の仲間たちに捧げます。
「ロード・オブ・ザ・リング」公式サイト
指輪物語
エルフ語(フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より)
1987年に「おじいさんの思い出」で装丁画家として運命的なスタートを切った山本容子さん。現在、本と彼女の関係は無粋なバーコードの出現で、単に幸福なものではなくなってしまったという。バーコードは大きすぎて見た目が悪い、カヴァーに質感のある紙を使うことができなくなってしまう、大好きな本を自由に装丁できなくなってしまう。だからせめて、帯に印刷するか、シールに印刷して貼る形をとりたい。
ごもっとも。でもそういう彼女の言い分を通すために、いったいどれだけの人の手を煩わすことになるか。無理な見積もりがたてられどこかの小さな会社が儲けを削り、しなくてもすんだ残業が増える。私の場合、代理業という仕事柄こういうことを反射的に考えてしまう。文化のために読者の皆さんも100円多く払ってくれって言われても・・・
てな感じのけちくさい感慨は読み終わって本を閉じたとたんにぶっとんだ。
うひよー バーコードがシール貼りになってるよ! 先の印象は全部ひっくりかえった。この一枚のバーコードのシールのために、氏がどれだけ勇敢に戦い、多くの人の共感を呼びおこし、その多くの人たちの辛抱強い根回しやら説得やらが積み重ねられたことか。うがー情けない 誰かがやって見せてくれないとわからないなんて。
情けなくもありなんだか悔しくもあり。でもとてもよい気分です。
ちなみにかの有名な94年のSWITCH誌でのヌード(撮影は操上和美さん)。ちょうどその頃、都内某所で氏の講演を聴く機会があったのですが、仲間の静止も聞かず、臆面もなく「どうして脱いだんですか」と氏にぶしつけな質問をぶつけるばかりか、あろうことか件のページを開いてここにサインしてくださいと迫った友人S。今思えばみんな若かった・・・ 「そのページはいや。仕事中はいつも脱いでるから」と軽くかわされていましたが、その返答って和田誠氏の助言によるものだったそう。美とナンセンスの女神に意味なんかないのだ。
女難・剣難てんこもりのこのダサかっこいい感じ。もうブコウスキーですよ! キル・ビルなんか見てる場合じゃないって、ホント。
松本賢吾 1940年生まれ。警察官・屋台引き・警備員・墓職人など10数種類の職業遍歴を経て、1996年「墓碑銘に接吻(くちづけ)を」でデビュー。「墓堀り探偵原島恭介」シリーズ、「誤り屋北山慎治」シリーズ、「突きの健・捜査一課別係」シリーズなど、意欲的な作品を発表し続けている。
時は明和9年、所は満開の桜の花びらが吹雪のように舞う墨田堤。時代劇に初挑戦した作品なのだとか。
主人公がめちゃくちゃポップでかっこいい! いやかっこいいのかどうかさえ実はもうよくわからないのです。放浪の剣士、梢 竜四郎は、なんか知らないがやたらと走る。剣の練習をするときも、悩んでいるときも、夜中の江戸の町をひたすら走る。義賊をきどる弟分と盗みの相談をするときもふたりで走りまくる。走りながら打ち合わせする。そんな浪人きいたことないって(笑)。ルパン三世だって目的もなく走り回ったりしないよ(笑)。
そして女好きなのか嫌いなのかこれがまたよくわからない。「同じ女は一度しか抱かぬ」なんて言っちゃって、クールなのかしら? と思ってるとお金をもらって大奥の女たちの相手をすることを平気でやっちゃったりもする。お約束どおり、抱かれた女たちはみな彼に夢中になってしまうんですが、女たちも負けてない。夢中になったわりにはというかだからこそなのだけれど、なんとか彼を亡きものにしようと騙したり刺客を差し向けたりぶっそうなことこのうえない。いくら女性にもてても、男性がこれを読んでうらやましいとは思わないんじゃないかしらん。
あー面白かった。次作もとっても楽しみです・・・ が、唯一の心配は、こういうほんとのポップな作家さんって、一般的には死んでから有名になるものなんじゃないか? ってこと。そんなこと言わずに(私が言ったのか)ぜひ生きてるうちに直木賞かなんかさくっととって欲しいものです。
流星を斬る 竜四郎疾風剣(双葉文庫)

税込価格: \550 (本体: \524)
出版:双葉社
サイズ:文庫 / 255p
発行年月:2004.7
■松本清張「天保図録」 長い。ジョゼフ・フーシェみたいな人が日本にもいたのね。
■石田衣良「娼年」 女の人は優しいなあ。村上龍の小説では、お金で買われる女はひどいことばかりされてるのに。
■石田衣良「うつくしい子ども」 よくこの題材を書いたなあ。えらい人だ。
■桐野夏生「ファイアボール・ブルース」 女子プロっていう題材はやっぱりちょっとマイナーにすぎるかな。でも「女にも荒ぶる魂がある」っていう視点はその後の「OUT」にも続いていてたいへん面白い。
■イアン・マキューアン「アムステルダム」 うーん、性にあわない。前に読んだ「贖罪」も、作品より知人の感想のほうが興味深かった。
■江国香織「落下する夕方」 うーんうーん、きつい・・・ でもこの人の文章は好きだ。
■松本賢吾「流星を斬る」双葉文庫悶絶するほど面白い! これはあとで感想をアップ予定。★★★★★
■NEWSWEEK日本版 マスコミが危ない? 特集 目新しいことは言ってない。
■VOGUE Japon9月号 厚い。
■和楽 手に持つと重い。
■美的 なんか鬼気迫るものがあった。
■Oggi9月号 もう秋物。
■週刊ゴング 「まだ間にあうボディメイク講座」ってページがあって、シェイプアップトレーニングのことが紹介してあった。「美的」も「Oggi」もプロレス雑誌も変わらないのではなかろーか。そーゆーところは。
■「バレエ・カンパニー」★★★★★ 音楽のチョイスがすごくいい! 「My Funny Valentine」泣けます。
■金目鯛の煮付け まあまあうまくいった。
■金目鯛の味噌汁 まあまあうまくいった。
■ひじきの煮物 素材で勝負。
■ゆかりご飯 なぜ紫蘇関係を摂取すると暑さにもかかわらずなぜ元気がでるのかしら?
オノレ・ド・バルザック「人間喜劇」シリーズの(藤原書店の新約版では)第8巻と9巻「娼婦の栄光と悲惨-悪党ヴォートラン最後の変身」飯島耕一訳 読了! バルザック文学の集大成と言われています。もうこれが面白い! 活気にあふれる19世紀パリの、美しきものもあくどいものも登場人物たちが全て体現しているかのようです。

とまあ、すっきりそう言えたらいいんですが。読んだりやめたり、アタシはこれに2年くらいかかっちゃって、最初のほうもう忘れちゃいましたよ!(前にも言ったけど注:原文で読んでいるわけではない)。
まず、バルザック作品中傑出した人物といわれる悪の大物、ヴォートランという人物の魅力が私はどうしてもわからなかったんです。だって、そんな大悪党がなんでリュシアンみたいな、美貌だけれど意志薄弱な詩人にそんなに肩入れするのかしら? たぶん私はとても散文的な人間なのでしょう(笑)
それでも前半は、リュシアンと相思相愛のエステルという娼婦との関係や、エステルをとりまく男たちの姿や、それをコントロールしようとする悪魔的なヴォートランの活躍、背景となるパリの風俗などなど見所もたくさんで飽きずに読めましたが、エステルが死んじゃってリュシアンとヴォートランが投獄されてからの、えんえんと続く徒刑場の描写やら当時の刑法の説明やらのくだりにかかると、もう2行で眠くなり、なんべん投げ出したことか。
これが他の作家だったら、まあいいか、って感じで忘れちゃったかもしれません。でもバルザックですよ!? これだけ巨人・怪物といわれる作家なら、なんか違う読み方があるはず。視点を変えようと、作家について書かれた本を読んでみました。
■霧生和夫「バルザック-天才と俗物の間」中公新書(もしかして絶版? 人からもらったのだけど)
これが大傑作! 著者がバルザックのことを「うわーなにこいつすごいへんなやつー」と最大級の感嘆をこめて語るその興奮が聞こえてくるよう。氏は2002年まで上智大学のフランス文学の先生をされていたらしいのですが、今もフランス語を教えていらっしゃるのかしら。
そうして私は、芸術のためにではなく、事業に失敗してふくれあがった借金のために、類まれな記憶力と透視力(というか妄想力)で書きまくる作家を想像しながら、なんじゅっぺん目になるかわからない再挑戦をし、今日ようやく読み終わったのだー!
今はまだ、面白かったとかなんとかいう感想はありません。最後のところの、ヴォートラン(にしてジャック・コランにしてカルロス・エレーラ神父)が自由の身になるところはすごい離れ業だ! と驚いたけど、いかんせん最初のほうもう忘れちゃってるのでまとまった感想にならないのです。どうしてかなーなににつっかえてしまってこんなに読みにくかったのかしら? まあたぶんまた読むことになるでしょう。というわけでやっと「セザール・ビロトー」と「従兄弟ポンス」が読めます! 疲れた~ けどなんか達成感(笑)
■江国 香織「思いわずらうことなく愉しく生きよ」光文社
立場も考えかたも違う、でも「思いわずらうことなく愉しく生きよ」を家訓として育ったところが共通している三姉妹のそれぞれのレンアイの話。ショッキングなのは長女麻子が夫に暴力を受けているというエピソードです。はたから見たらどう考えても「何でその状態でくっついてるの?」としか言いようのない、夫婦それぞれの心理描写なんかはすごく胸に迫ってくるものがあったのだけれど、なんといってもこの小説のミソは、このテーマがファッション雑誌「VERY」に連載されていたということです。
知らない人のためにつけくわえると、「VERY」っていうのはシロガネーゼという造語を生み出した、バーチャルおハイソ奥様向けおしゃれ雑誌。バーチャルというのは、そんな主婦ぜってーいねえよっ というつっこみどころ満載だから。ほとんどキイチの塗り絵を見ているような夢の世界を楽しめます。
で、VERY世代の麻子さんですが。どうしても家を出る決心がつかない麻子は、同じように夫に暴力をふるわれているらしい女性をスーパーで見かけ、彼女を拉致していっしょに家出してしまいます。ところが気が変わって、第三の女性のことは三女育子にあずけて自分は家に帰っちゃう。この第三の女性は、育子の助けを借りて、支援センターに行ったり、なんとか地味ぃな事務の仕事を見つけて自立の道を探ったりしはじめる。ドメスティック・バイオレンスを語る以上、この第三の女性のことをもっと書いて欲しかった。と、当然ですが感じました。彼女の自立への道のりを「果てしないプロセス」なんてひとことでかたづけちゃわないで。が、どっちかというと、この第三の女性のパートがいかにもとってつけたようだということに憤慨するよりも、たぶん私はこの物語が「VERY」に連載されていたという事実に驚嘆すべきなのだ。おそらく。きっと。
言葉のこしらえ物を楽しむ快楽というよりは、考え方・狙いが先に立った小説。そういう意味では歌舞伎座で上演された野田版鼠小僧に似てるかも(私にしかわからない比喩)。
殺されたあと、血まみれの体を引きずって中二階にある一人部屋に戻ってくると、田之介は襖障子にぐったりと寄りかかったまま、姿見に映った自分の様子をしばしの間満足げに眺めていた。
荒縄で柱に縛りつけられたあげく、包丁で心の蔵をぐりぐりと抉られ、苦悶のあまり散々に身をよじったために、着物は前がはだけて肩が半分露になっている。疲れ切った細い首をぐらりと傾げると、乱れた鬢が紅に染まった頬にこぼれる。生暖かい血と汗に吸い寄せられるように、髪は頬に貼りついていく。その感触を楽しみながら今度はゆっくりと逆に傾げる。もう一方の鬢がはらはらと首筋に落ちてゆく。
ふふふふ、と田之介は低く含んだような声で笑った。
山本昌代が86年に発表した「江戸役者異聞」の導入部です。モデルは江戸時代の歌舞伎役者沢村田之介。不治の病で手足を切断しながらそれでも舞台に立ちつづけた役者です。この小説は発表当時に読んだけれど、毎月歌舞伎座に通うようになって、また違った読み方をするようになりました。足のない田之介は舞台の上で容赦なくいたぶられる。手も足も切断して「達磨」になってなお、念願だった衝立なしの濡れ場を演じようとする。そうしてそれらの舞台に関わる人間たちのエゴイズムの全てをひっくりかえす、これこそが山本昌代の描きたかったであろう巨大な空虚が、しびれてくるからだをひきずりながら訪れた田之介と医者との会話に表れています。
「痛み出してどれくらいになるね」 「十日ちょっと・・・ です」 「そうかい、じゃあ切ろう切ろう」 良順はまるで大根かなにかのように、それも浮き浮きと楽しげに言うのである。(中略)ヘボンさんに見てもらえばよかったかなあ、-頭に枕をあてがって、田之介は天井を見ながらふと後悔の思いにかられた。まあ、いいや、・・・・・・どういうものか俺はこの先生、虫が好くんだ・・・・・・。どっちに転んでもなるようにしかならないさ、-そう思うと自然口元に笑みのようなものが浮かんだ。
思うに、濃いぃ生き方は空虚と裏腹だ。巨大な空虚を抱え込む人は埋め草もまた巨大である。家族とか恋人とか友達とかボスとか取引先とか全部とっぱらったら、人間なんて空っぽなのだ。空っぽだと自覚できる人間でいたい。手足が切断されようというときでも。
舞台の外で見かける海老蔵丈は常人ならぬ異様なオーラを放っているそうな。「今日はよい舞台でしたね」などと生ぬるい声をかけることもはばかられるほど。などと、ふと聞いた話を思い出したりするのです。
江戸役者異聞
山本昌代
河出書房新社
なんか版元でも品切れ中のようです・・・ ブックオフで見つけたら買い!
■宮尾登美子「きのね」新潮文庫
歌舞伎役者の家に女中として住み込み、役者の妻として生涯を終えた女性の話。個人的には、この人と山崎豊子氏と塩野七生氏の作品はけっこういつも釈然としないものがある。作者がノンフィクションを書いているつもりなのか、ノンフィクションを題材にしたフィクションを書いているつもりなのかよくわからないのがなんか居心地が悪いのだ。とはいえ、勉強になったところもたくさんあった。「助六」という作品の素晴らしさを改めて感じることができたのがよかった。来月楽しみ。
■服部幸雄「歌舞伎歳時記」新潮選書
やっと歌舞伎の本を読み始めた。ぜんぜん見たこともないのでは読んだってわかりはしないです。これからいろいろ読んでみようと思います。
■森山公夫「統合失調症」ちくま新書
「分裂病」という名称が「統合失調症」と変更になったのは2002年のこと。妄想症とかパラノイア(同じか)には昔から興味があった。病としての妄想と、人々を楽しませる作り話はどこが違うのだろう? とずっと不思議だったからだ。筆者は、妄想(特に迫害妄想)を分裂病の重要な症状ととらえるのではなく、妄想症候群の中にこそ治癒の手がかりがある、としている。いいと思った点と ? と思った点は裏表だ。この病気にかかった患者さんを社会から排除しようとするのではなく、関係性こそが問題なのだから、関係性を考え直せば、治るよ! と言って、受け入れようとする姿勢がいいと思ったけれど、分裂病は3歳までの母親との関係に起因する、という一昔前に聞いた理屈に逆行しそうな印象も受けてしまう(えーとすごいかいつまんだ言い方ですが、まあ私の理解できる範囲で、ということです)。筆者もおっしゃるとおり、これから練られていく考え方なのだろう。
※印象だけで書いていたところをちょっと修整。ファイナンス.ニフティなんて初めて見ました。すいません、全く門外漢なんで的外れかもしれませんが、とりあえず、今の時点で感じたことをメモ。ちょっと勉強します。
■山本一郎@切込隊長
「美人(ブス)投票入門 ブス銘柄をつかまされないための13カ条」
人質事件は株価にそう長くは影響を与えませんでした。人質が解放される前に落ち着きました。私はすごーく素朴に「それってどういうこと?」と思いました。被害者の方が全員無事帰ってきたので言えることなのだけれど、これだけの重大事件を、重大事件とは思わない視点があるのです。
で、投資家の視点というのを知りたくて、超ド級の投資家(オビより)と呼ばれる山本一郎氏の本を読んでみました。これはすごい。最初は半信半疑だったけれど、最後にはほとんど虚無感さえ感じました。この人、1973年生まれですよ!? そう言うと、すごい怪しいヤマ師の本みたいだけど、いや実際そうなのかもしれないけど、投資活動・ひいては企業活動を通して語られる日本という社会とかアジアという社会の話が、すごく筋が通ってるんです。今時、筋が通ってると虚無的になっちゃうのではなかろーか。
まず門外漢の私には「株式は美人投票みたいなもんだ! みんなが投票しそうな美人を見極めて、みんなが投票する前に投票するのが投資だ」という導入部がとてもわかりやすかった。そして粉飾ブスを見極め、そもそも美人の属する業界(成長が見込まれる業界)を見極めよう。と続く。
このへんまでは、「短期で儲けようとせず、企業といっしょに成長するつもりになって長期的な投資をしよう、ってことが言いたいのかな? でもそれって、実際に投資をしている人には“行うは難し”的事柄かもしれないけど、普通の人間から見たら、そんなの当たり前のことなんじゃないの?」くらいにしか感じなかったんですが、具体的なブス銘柄の見分け方にはいってくるともうすごいメッタ切りぶりなのです。人事、合併、新事業発表、媒体情報などなどの「買いたくなっちゃう材料」をこう読め!(というか、こう読むな!)って話が続き、読み違えた人がたくさんいるとどうなるかって話が「焼死体」「ガソリン」「焼け跡」「鉄火場」などなどの業界言葉で(末尾に辞典付き)次々と繰り出される。ひー。こわい。
じゃあどう読めばいいのよ。ってことで、おおざっぱに、今日本はこういう状況で、例えばこの業界はこういう状況で、アジアはこういう状況でなんて話が続く。私は投資はしませんが、経済って、世界のいろんな状況の中で動いていくんだなー ということがすごくよくわかりました。
そんで思ったのだけれど、どうして株価が人質が解放される前に落ち着いたかっていうと、投資家は人命やボランティアに興味がないから、ということではぜんぜんなく、この事件には世界のいろんな状況のこの位置でこの事件がおこった、という、外の世界とのつながりが全くないからだ、ということなんじゃな