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阿部和重「グランド・フィナーレ」-“幼女性愛”は成人男性に共通する病理?切込隊長BLOGより

 芥川賞をとった阿部和重の「グランド・フィナーレ」を読んでみた。以下ネタバレあり。文藝春秋3月号をお風呂で読んでたら湯冷めした。

【粗筋】 

 主人公「わたし」(36歳・男)は、離婚しているが自分の女の子供に会う権利がない。離婚の原因はDVということになっているが、実は撮り貯めた少女のヌード写真(自分の子供含む)だった。教育映画の助監督をやっており、出演者の子供たちにバイトをもちかけていたのだ。(このへんは友達に誘われてのこのこ出かけていったクラブで友達に暴露される)
 実家にかえり職もなくぶらぶらしているところ、地元の小学校の文化祭の演劇の演出を頼まれる。その中のふたりの女子が、ふたりだけの演劇をやりたいので教えて欲しいと思いつめた様子で「わたし」に頼む。ひとりは町中から激しい虐めにあっていた。兄が殺人事件を起こしたからだ。一家は転居するらしい。演出をひきうけて小道具なども手作りしてやる。あるとき、「わたし」はふたりの女子がインターネットで「自殺マニュアル」サイトを見ているのに気づく。やがて最後の芝居の上演日がやってくる。

 読んですぐの感想は 幼女偏愛嗜好を旬のネタだと思って書いてみただけなのかな? というものでした。でも切込隊長さんの「幼女性愛」は成人男性に共通する病理?」というエントリーを思い出してちょっと考えてしまったので書いてみます。

「幼女性愛」は成人男性に共通する病理?」

 保険会社の調査の分析を依頼され、感じとして公開できる範囲で、と前置きした上で紹介されています。これがちょっと驚いた。引用の仕方が適切かどうかちょっと自信がないので、興味のある方はリンク先を読んでみてください。

「14歳以下に対する性的欲情の発露は成年男子にとって極めて正常な反応。それを具体的な行為に伴う犯罪に昇華させる率は、その人の性行為の多い少ないにかかわらず一定の割合必ず存在し、同様に所得や学歴、家族構成といった属人性による関連付けはできない」
炉莉に関心を持つ人というのは、成人女性に相手にされなかったのでやむを得ず炉莉趣味になったという割合が15%内外と低い結果に終わったことを考えると、実は炉莉が守備範囲かどうかはその人の才能というか性的資質によるものであることはほぼ断定してよいと思う。
現実には潜在的に守備範囲であると名言する人が国の別を問わず4割以上はいる計算になるのだ。しかし、それが社会的な抑圧によって炉莉=犯罪という構図になると早期に性的関心を若年層に対して持った性的資質を持つ人は、40年以上に渡って己の中の炉莉と戦わなければならないことを指す。

 うーん。そうなんですか。私は一応女ですが、おしもおされぬ中年なので、私を女性としてみない幼女偏愛嗜好の人には単純にむかつきます(苦笑) っていうのはまあないことはないです。あと、自分の欲望を実現できないから、妄想に走るっていうのが気持ち悪いとかいうのもまああります。

 でもそれはわりとどうでもよくて、どっちかというと、いっそくとびに、実際に対象にされた幼女がその先何十年も背負わされることになるものすごい重荷を想像してしまうんです。会社の上司にちょっとセクハラされたくらいのことで何週間もウツになっちゃうようなこと考えれば、子供時代に性的に玩ばれたら何十年間苦しめばいいのか。苦しみから解放されたころにはもうおばあちゃんですよ! 人生だいなし。生まれてこなけりゃよかった。とか。

 落ち着いて考えれば、みんながみんな性的犯罪に走るわけじゃないのは理解できるような気もするのですが、それよりも自分の女の子供(いないけど)や友達の女の子供にそんな思いをさせたくないっていうのがすごい強く働くような気がします。なので「炉莉=人間の資格なし」って決め付けちゃったほうが簡単でいいかなー っていうふうに思いそうになる自分がいます。人間そんな単純なものじゃないということは頭ではわかっていても、ことこの件に関しては。ちょっと。っていうふうに。どうしても。

 んで「グランド・フィナーレ」なのですが。「炉莉=人間の資格なし」というほど単純なものでもなくて、でももちろん子供は守られなくちゃいけないってのもあって、ああ人間ってむずかしいってことが書きたかったのでしょうか。それがわからないんだってば、この書き方じゃ。なんでクラブでクスリやってるあほな若いモンが「ウガンダの子供はかわいそうだ」とか語り始めたり、「ロリコンって許せない!」とか説教はじめたりするんでしょうか。

 とまあちょっとどう受けとったらいいのかわからなくて困惑していたところ、村上龍氏の選評を読んでああそういうことかと思った。「肝心なことが書かれていない中途半端な小説」「危険なモチーフに作者が踏み込んで書いてないのが不満」「逃げているとか、態度を曖昧にしているという疑いを読者に持たれてはいけない」「このようなセンシティブなテーマを一人称で書くのは致命的に未熟」などさんざんくさしたあげく

 批判ばかり書いたが、それも私は安部氏の作品を推した。その理由はただ一つ、小説にしかできないことに作者が挑戦しているように感じたからだ。

 と。やっぱりこの人むちゃくちゃいい人だと思う>村上龍

阿部和重「グランド・フィナーレ」finale
著者: 阿部 和重
税込価格: \1,470 (本体: \1,400)
出版:講談社
発行年月:2005.2

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